7月13日(日)
雨降りの日曜日、今日は大阪城に残る第二次世界大戦の戦跡めぐりに参加した
大阪城は戦争当時、陸軍第四師団司令部が置かれていた
しかも、お城の周囲は東洋一の軍需工場といわれた、砲兵工廠だった
一大軍事拠点であり、それだけに終戦間近には大規模な空襲に見舞われた

戦争当時、米軍の空襲で使われた「1トン爆弾」の模型
長さ2.4メートルで、直径は0.6メートル
強力な破壊力で、落下跡に池ができる場合もあったという
旧砲兵工廠診療所跡を利用した展示施設「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」にある

お城の一角にあった小さな石標示
「陸軍省用地」と書かれている
お城一帯が軍の土地だったことを示す

朝ランコースにある石碑
今まで何の記念か知らなかったが、鶴彬という反戦川柳作家の記念碑だと分かった
ここには、「衛戍監獄」と呼ばれる施設があった
衛戍監獄とは軍法会議で判決を受けた軍人が収容される
鶴彬は治安維持法違反で2年近く収監されたという

天守閣広場にある石段
よくみると、中央部分が少しへこんでいる
この下に巨大な防空壕が造られたため、沈下現象が起きたのだそうだ

大阪府市が戦後50周年を記念して設けた銘板
お城に残る戦跡を印すとともに、戦争の反省・平和への誓いを記している

銘板の文章。なかなかの銘文
少し目立たない場所にあるのが残念だが、目立たない場所だからちゃんと残っているのかも

朝のラジオ体操前には善男善女の歌の場になっている旧第四師団司令部庁舎
三代目の天守閣と同時に1931年設立された
天守閣復興のための市民の寄付金の約半分が建設資金になった
天守閣広場は軍の土地なので、天守閣復興の了解を得るためだったと言われている

天守閣の石垣の一部
中央にある色違いの場所は戦争中の空襲で破壊され、のちに修復された

同じく天守閣の石垣
上の方に浮き出たような場所があるのは、空襲で根っこの部分がずれたため

石垣に残る機関銃掃射の銃痕

天守閣裏の広場にある「真心」という小さな石碑
戦争当時、お城に置かれた宿舎で暮らした女子防空通信手たちが戦後に設けた
戦争末期になると、空襲警報の伝達など防空関連業務にも女性たちが駆り出されていた