この週末、島根県では豪雨で大きな被害を蒙った
こんな状況の中で、いささか間が悪い感は否めないけれど
ちょっと時間を溯って、私の島根訪問記を続けます
ご容赦をお願いします
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8月19日(月)
三瓶高原クロスカントリー大会の翌日は、
同じ島根県大田市の石見銀山跡を訪ねた
予備知識はまるでなかったが、世界遺産だということだけは何となく知っていた
何てったって世界遺産、一件の価値はあるだろう、というお気楽さだった
 
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最寄駅となるJR大田市駅。駅名表示より、石見銀山遺跡の看板が目立つ
やはり、何てったって世界遺産
認定されたのは2007年で、もう5年の歴史がある
 
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大田市駅から路線バスで約30分
石見銀山遺跡観光の拠点、「大森」に到着した
中央の建物に観光協会やガイドグループの事務所などが入っている
左に並んでいるのは、独特の人力タクシー
 
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観光協会などのある建物の向かい側には石見銀山地区の模型が展示されている
鉱脈のある山の合間に関連施設や住居などが立ち並ぶ
 
石見銀山は鎌倉時代の1300年代初めに発見された
やがて、1585年に豊臣秀吉が関白となると、豊臣家と毛利家の共同管理となった
しかし、1600年、関ヶ原の戦いで徳川が豊臣に勝つと、直ちに徳川幕府が直轄とした
鉱山の全盛期は戦国時代後期から江戸時代前期とされ、
この間には世界の銀生産量の三分の一を占めたと推定されている
徳川幕府の台所を支える役割を果たしたのだろう
日頃、”お城”で感じているヒール、徳川の存在をここでも感じるとは思わなかった
 
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坑夫たちが掘った銀を運んで通った”銀の道”が遊歩道に整備されている
 
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銀の道のそばには、銀山から湧き出た水が流れる”銀山川”が通っている
 
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銀の道の道端にある墓石。昭和18年に大洪水があり、その際山から流れてきたという
 
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周辺には梅の木が多い
坑夫たちが鉱山内での塩分補給のために梅干しを利用したことから、梅の木を多く植えたなごりという
 
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下河原吹屋跡。17世紀初めから江戸時代初期にかけての銀精錬所の跡だ
 
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銀を掘った坑道の跡は、間歩(まぶ)と呼ばれ、約600カ所発見されている
龍源寺間歩は大型の一つで、常時公開されている
 
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坑道の壁面にはノミで削った跡が残っている
中はひんやりとしていて、外の暑さを忘れる
 
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小さな側道も掘り進んで採掘していたことがうかがえる
 
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観光用に新たに掘られた坑道
体の不自由な人も運べるようにレールも備えている
 
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銀山は埋蔵量の関係か、やがて銅にシフト
ただ、銅相場の不振で経営不振となり1923(大正12)年、休山になった
昭和の時代にも再建の試みがあったが、18年の大洪水で大きな被害を受けたこともあり再建は進んでいない
 
地元のガイド氏によると、1614、15年の大阪冬の陣、夏の陣では
銀山の坑夫が土木技術力を買われて大阪に100人単位で動員されたという
当時、銀山は徳川幕府直轄だったので、徳川方の一員として豊臣を攻めたのだろう
果たして、お城に攻め入るための穴を掘ったのか?
それとも?
結局、宿題を持ち帰る羽目になった