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3月26日(月)
白石一文著。第22回山本周五郎賞受賞作。 講談社文庫、上下2巻。
 
この作家を読むのは初めて。
書店で何となく手にとって、何となく購入。
読み始めた以上最後まで読もう、という思いで時間をかけてようやく読み切った。
 
題名が仰々しいだけでなく、宣伝文句も「嵐のような絶賛を呼んだ衝撃の書」などセンセーショナルだった。
ただ、読んでみれば、「震えが止まらない」ほどの刺激はなかった。
 
ガンを患った40歳代の敏腕雑誌編集者の一人称小説。
主人公は体にガンという傷を抱えるだけでなく、我が子を幼くして死なせたという心の傷も持つ。
大物政治家の疑獄事件を誌面であばく一方では、芸能界への口利きをえさにスター志望の女を抱く。
批判精神、現実主義、快楽主義……など多面性を持つ。
その主人公が社内のパワーゲーム、夫婦のすれ違い、理屈では説明できない男女関係などの中で生きていく。
一言で言えば、そんな物語だ。
自ら死に直面しているという深刻な現実はあるものの、ストーリー展開は理解の許容範囲だった。
 
特徴的だったのは、引用の多さ。
米国の経済学者、M・フリードマンの著書や雑誌インタビューから、
宇宙飛行士の物語、貧困問題の書籍、民主党・岡田克也の著書など様々な文献を引用。
格差社会の現実・問題点、宇宙・生命の神秘などあれこれの分野の持論を展開している。
主人公の考え、思いとして。
この「評論」部分が、主人公を巡る動きの小説部分と渾然一体となっている。
 
小説部分はスーッと読めるのだが、評論部分になるとしばしばだれる。
著者の言わんとすることでうなずける点はあるのだが、なんで小説とごちゃ混ぜにするのか、と時々苛立った。
小説、評論もそれなりに面白さはあるのに、渾然一体にしたことでむしろ中途半端に終わったのではないか。
評論で伝えたいことをストーリー展開のなかで表現する。
あるいは、評論部分は完全に分離して、別の形で活字化する。
こんな方法で、小説部分をさらに読み応えのあるストーリーにしてほしかった。