3月3日(土)
プロ野球のオープン戦が始まった。
やはり、気になる。
ロッテはソフトバンクと1対1の引き分けだった。
長年のロッテファンである。
振り返れば、1970年に濃人監督のもと、パリーグリーグ優勝を果たしたときからだ。
日本選手権ではセリーグにあっけなく(確か巨人相手に1対4)敗退した。
でも、ゴツゴツしたような野暮ったいユニフォームだったけど、
打者ではノッポのアルトマン、ごつい顔の有藤、投手では素直な直球の成田、仁王立ちの木樽などが妙に気になった。
ファンへの第一歩だった。
翌1971年、優勝の翌年ながら成績が振るわず、濃人監督がシーズン途中で更迭。
そして、大沢親分が監督に就任、直後に4連勝をして一時は首位に立った(確か)。
その時は、すっかりファンになっていた。
以来、もう40年来のファンである。
その間、数々の監督がいた。金田、稲尾、山内などそうそうたる名選手から外国人のバレンタインまで。
ホームは東京球場から川崎、仙台、現在の千葉へと変わった。
この間、日本一に輝いたのは、1974年(金田監督)、2005年(バレンタイン)、2010年(西村)の3回だった。
この40年間はどちらかといえば、耐える時期が長かった。
何故なら、ロッテファンはあまりにもマイナーな存在だった。
高校、大学、社会人の各時代とも友人・知人と野球の話になったとき、
「ロッテファンだ」とカミングアウトした時に返ってきた言葉で一番多かったのは、「何で?」だった。
そして、やがて「まあ、好き好きだから」というような感じで笑われて終わりということが一般的だった。
川﨑球場時代の後半は特に悲惨だった。
チームの弱さに球場のボロさが重なり、笑われ、ばかにされる日々だった。
テレビでは「好プレー珍プレー集」の番外編のような形で、川﨑球場の外野席がよく取り上げられた。
試合中なのにバレーボールや、麻雀をしていたり、彼女の膝枕でいちゃついていたり……。
本来は画面を見ながら屈辱に震えるべきだが、怒り・悲しみを通り越して笑ってしまっていたのが情けない。
結局、あまり他人の前では自ら「好きな球団は…」と話さないようにしてきた。
不謹慎な例えで、恐縮だけれど、「隠れキリシタンのようなもの」と拗ねていた時期が長かった。
40年の間でも、時々流れが変わった。
「走れ、走れ」の金やんが率いて日本一となった1974年、
返り咲きボビーが花を咲かせた2005年、
自分の周りで急にロッテファンが増えたのだ。
自分と同じように身を隠していた同士たちが表に出てきたのかと喜んだものだ。
ただ、結局は例えば宝くじで当たった人が急に親戚や友人が増えるのと同じようなニュアンスが大きいようだった。
最近は時代が変わってきたかもしれない。
千葉マリン球場の応援、応援団の熱の入れようは定着したようだ。
人の面では、ジョニー黒木が一つのポイントだったような気がする。
従来もそれなりのスターはいた。
でも、村田兆治にしろ、落合博光にしろ、伊良部秀輝にしろ若い女性ファンにはあまり受けなかった気がする。
でも、ジョニー黒木は若い女性や素人にも受けた。
そして、その後の西岡、今江らにつながった気がする。
もう”ロッテファンの孤独”はあまり味わわなくていいだろう、との手ごたえはある。
そうはいっても、昨年のどん底は大きなダメージ。
また、元の木阿弥に戻るのか、ファンとして楽しい日々を過ごせるのか。
今年も、試合試合の勝敗に一喜一憂する日々が続く。