
2月1日(水)
「ギョーザ日本一」を自負する宇都宮市の家計購入額が昨年、16年ぶりに首位を陥落した。
今朝の新聞各紙にこんなニュースが載っていた。
今から10年前宇都宮にいた。
約3年間、宇都宮でギョーザに浸かっていた身としては感慨ひとしおだ。
宇都宮に移った初日、まず驚いた。
街のギョーザ店で、若者4人連れが談笑していた。
まるで喫茶店かファミレスで語り合っているように。違うのはコーヒーではなく、ギョーザが並んでいることだけだった。
首都圏で生まれ、育ったこの身にとって、ギョーザはラーメン店のサイドメニューだった。
それが、宇都宮ではメーンメニュー。
ギョーザ店はまさに専門店。ライスを出す店はある程度あったが、ラーメンを出す店など極めてまれだった。
老舗専門店のご主人の話を聞いて驚いた。
「自分はニンニクが嫌いだ。店のギョーザにも入れてない」
だから、臭いを気にしないで昼間からでも、若い女性でも食べられる。
値段も安かった。当時、一皿300円前後だった記憶がある。
まさに、コーヒー並みだった。
何故広まったかは諸説紛々。
戦後に中国から復員した人たちが持ち帰った。
栃木県はニラの生産量日本一などいい野菜が取れる。
ブームになったきっかけは明らか。
ある時、市役所の職員が調べていて「家計消費量日本一」の事実を発見、PRに乗り出した。
その後、タレントの山田邦子さんが面白がって自分の番組で紹介、火がついた。
このとき、宇都宮駅東口前にギョーザ像(一世)が出来たと聞いた。
現在は別の場所に二世が建てられたようだが、10年前の一世は貧弱。
地元では像を目当てに来た観光客に駅員が二度怒られる、という笑い話が流れていた。
まず、「どこにあるか分からない」。続いて「何だ。この程度のものか」と。
商売の面から言うと、ギョーザの冷凍技術が確立されて量販が可能になったことが大きい、とされる。
店としては、生だけだと売れ残りがロスになる。作り置きも出来ない。
冷凍保存が可能になり、注文に応じた量だけ加熱調理して出せばいいようになった。
だから、地元宇都宮産だけではなかった。群馬県のメーカーに下請けにしていた店もあった。
加工度も比較的低い。焼くか、蒸すか、煮るだけ。
中華料理店、ラーメン店とは違いメニューもギョーザに絞っている。
在庫、売れ残りリスクが少なく、加工度も低い。だから安く量販できる。
売る側にとっては、薄利多売で儲けられる魅力的な商材だった。
街の中心部に、地元専門店のギョーザを複数扱う「来らっせ」という店があった。
そこに来れば、実際にあちこち街中を歩かなくても食べ歩きできる。
専門店の協同組合が運営していた。
ライバル店同士でもあるが、外からのお客を集めるためには手を結ぼうという高い志の店だった。
当時、この店の「支店」が東京・池袋のナムコ・ナンジャタウンに出来た。
これを契機に宇都宮市とナンジャタウンが「ギョーザ姉妹提携」した。
提携の調印式はナンジャタウンで開かれ、わざわざ宇都宮市長が出席した。
本店の方には、隠れた人気(?)メニューがあった。
その名を、ギョーザカレー、何のことは無いカツカレーの豚カツの代わりにギョーザを乗せたものだった。
「みんみん」「正嗣」など有名店は多かった。
市民は「ぼくはみんみん」「私は正嗣」などそれぞれのご贔屓の店について語り合っていた。
本場、中国に逆出店していた専門店もあった。
色々書き連ねていると、また食べたくなった。