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1月24日(火)
錦織選手が全豪オープンで活躍し、テニスが急にスポットライトを浴びている。
ヘボだけど年季の入った一人のプレーヤーとしてはうれしい出来事だ。
 
私の愛用ラケットは、英国SlazengerのPro Braided Henmanモデル(サイン入り)だ。
もう10年以上使っているはずだ。
スラセンジャーのテニス用品を扱う代理店が日本には無かったので、
ネット通販、並行輸入品などあれこれ買い集めて9本を確保、使い回ししている。
結構丈夫だし、順番に使っているので傷みも少ない。
もう一度生まれても、そのときにまた使えるだろう、と思う。
 
このラケットにこだわっているのは、もちろんヘンマンの熱烈なファンだからだ。
1990年代の後半から2000年代の初めにかけ、
英国選手のTim・Henmanがウィンブルドンで活躍している場面をNHKの深夜放送で見続けた。
サーブ&ボレースタイルをあくまで貫くその姿が格好良かった。
 
しかも、キャリア前半のころはあくまでポーカーフェースを貫いた。
ナイスショット、ナイスボレーでポイントを決めても、ピンチに立っても、あくまで表情を変えない。
ガッツポーズなどまるで縁がなかった。
「見事に決めたのに、うれしくないのだろうか」なんて疑問に思ったことも多々あったが、それが格好良かった。
キャリア後半には、ガッツポーズをしたり結構、感情を表に出していたが、
自分を鼓舞するためだったと思う。許せたが、あまり似合ってはいなかった。
 
格好は良かったが、ウインブルドンの頂点には立てなかった。
米国ピート・サンプラスの全盛期にぶつかったことが大きな要因だったと思う。
ヘンマンの前に仁王立ちするサンプラスが憎かった。
2001年にはまたとないチャンスがあった。
サンプラスが早い段階で敗退、準決勝ではイワニセヴィッチを追い詰めていた。
でも、無常にも試合途中で日没となり、試合は翌日に持ち越し。
再試合になれば、ビックサーヴァーのイワニセヴィッチが格段に優位になる。
案の上、翌日の再試合でヘンマンは敗れた。
無念だった。
 
ウインブルドンの放送では、試合中にスタンドの家族席を映した。
細身紳士である父やいかにも優しげに子を見守る母親の姿を、毎年目にした。
テレビ観戦を始めた当初は「ガールフレンド」だったルーシーさんが、
やがて「妻」になり、大きなお腹を抱えるようになった。
ほほえましく、そしてうれしかった。