”1リットルの涙”最終回 | 膠原病と僕 ~病院で働きたい~

”1リットルの涙”最終回

これまで毎週見ていた1リットルの涙が終わりました。
このドラマのもとの本はちょうど退院して少し経った頃本屋で見かけて思わず買って読んだのが初めてでした。
退院して病院から家へと戻り、普段の世界へ移った僕。
でも病院という狭い保護された世界では気づかなかったことも、家や学校という広い世界に移ったとき嫌でも気づかされた。
そう、自分ができないことが多すぎた。
まず学校の勉強は遅れ、買い物に行ってもかごが重くて持てない、体力が落ちてみんなについて行けない・・・。
また、一度やられた脳の視神経の部分は完全には治らなかった。
以前の、本を読むにも片目をつぶらないと読めないぐらい複視がひどかったのに比べればだいぶ良くはなったけどそれでもまだ左を見ると二重の世界。
複視ってどんなの?って思われるかもしれないのでここに参考の写真を載せておきますね。
あくまで2つの写真をずらせて合成したものですが、参考としてよければ見てください。
ひとつは景色で、ひとつは文章の例です。


    鴨川の複視写真

   複視のとき見ていた川沿いの景色の様子(参考例)


    文字の複視

   複視のとき見ていた文章の様子(参考例)

 

また亜也さんの「わたし結婚できる?」という言葉も心に響いた。
僕も結婚できる?というかしていいのだろうか?
それにリウマトレックスを飲んでるうちは子供もできたらいけないし。
まぁ飲むのをやめて3ヶ月待てばいいんだけど。
もし彼女ができたらいつ自分が病気だって伝えるの?
それに僕は彼女なんかつくっていいの?
僕も年頃、そんなことも考えます。
あと、退院したとき研究室の指導教官に就職で身障者枠の話をされたこともありました。
もちろん先生が僕のことを心配してくれて言ったことだとは分かっていたけれどなんか少しショックを受けている自分がいました。
テレビで亜矢さんが入院していたのも自分が入院していたのも神経内科。
テレビで映ってた検査も、僕もよくしてた。
指で鼻を触ったあと腕を伸ばしたり、神経に電気を流して神経伝達の検査をしたり、発声練習、歩行訓練などなど。
でも彼女は次第にできないことが増えていったのに対し、僕は次第にできることが増えていった。
まだまだ女性としての夢や希望にあふれている年頃の彼女にはどんなに苦しいことだっただろう・・・。
退院して約1年、僕はこんなに元気になりました。
こういうドラマを見ると僕は頑張らないといけないなぁっと思います。



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