癌(卵巣癌)患者になっちゃいました -81ページ目
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検査 検査 検査。。。

6月21日から


21日の結果を聞いてすぐに、

まず、転院のためにこれまでのデーターと紹介状を依頼。

すると、文書課?がすべて仕切っているとかで、

後日、原則本人手渡し、または現住所へ郵送ということでした。

すぐにでも手術したほうが良いといわれたのに、

そんな事務的なことで待たされることに。


その日のうちに埼玉県立がんセンターに状況を説明して受診の予約のため電話を入れました。

が、ここでも紹介状がまだ手元にないということで予約すらも入れてもらえませんでした。


癌があるとわかっているのに何も前に進めない。。。


不安な週末をすごしました。


週が明けて、とりあえず職場で報告、退職したいと申し出ました。

休職扱いで治療しては、とも言っていただいたのですが、

なにせ、「癌」なんてどんなことになるのか皆目検討がつかなかったため

うかつに、復職の約束などできないと思い退職をお願いしました。


このあとなんとか、がんセンターのドクターに診察していただくことになり、

(タイミングよく紹介状等もちょうどそのときに整いました)

さらに詳しい検査をすることになりました。


初回の診察で

①触診

②内診台にて超音波検査

③組織をとっての細胞診(すご~く痛かった汗

④血液検査


これによりほぼ悪性だろうとドクターは確信したようです。


その日に超音波(もっと詳しく)、CT、手術のための肺レントゲン、肺機能、心電図の予約を入れました。


ただし、この検査結果が出揃って今後の具体的なお話はなんと

7月19日となるのです。


すぐにでも手術しないとと言われたのに、一ヶ月もあとに検査結果を聞くなんて。。。

大丈夫なのかなぁ。


不安な毎日をおくることになりました。


2008年2月26日 記

2007年6月21日まで(2)

2007年5月


救急車騒ぎの後、しばらく胃の調子が悪いような気がして薬を服用していました。

が、なんとなく胃じゃないような気もしていたりして・・・


3月まで高校の講師をしていて超激務の日々を送っていましたが、

あまりにも犠牲が多く家族のひんしゅくもかっていたため、

4月からはある団体で3日/週の仕事をしていました。


結構時間的にも余裕が出てストレスもあまりためずいたのですが、

この胃痛?がなかなか治まりませんでした。


また、この時期になるともう一つ気になることが・・

「おしっこ」の出が悪いような気がしていました。

結果的に頻尿になってなんか変だなぁといった感じでした。


ちょうど、主人がある賞を頂、式典に夫婦で参加することになり、

そのときにトイレに頻繁に行くのもなぁ・・

ということから「泌尿器科」を受診。

尿検査をしただけ。


結果  「異常なし」

う~ん、式典が近いので緊張してるのかな。。。

などと根拠なく納得して、

当日は、着慣れない着物でなんとか無事に1日を終えることができました。


が、式典も終わり緊張などない日常になってもなんとなく「おしっこ」がでにくい・・・・汗


式典の後も主人の祝賀会やら贈り物やらの整理で忙しい日々が続いていたのですが、

いよいよ持っておかしい。。。。


今度は「婦人科」で受診しました。

これが6月にはいってのことでした。


6月


「婦人科」で受診。

内診、超音波をした後、

「卵巣に何かあります」

「悪い可能性もある」

「手術になると思う」

とかなり確信的な診断を受けMRIの検査をすることに。

ドクターの予約画面を見ていると、

翌週の朝一番の枠がキャンセルに目

すかさずドクターが予約を入れて、

「ここどうですか?ここがだめだと7月の終わりになっちゃいますけど」

「お願いします」と私。


今考えるとこれがかなりポイントだったかも。

で、翌週MRIをとることになりました。


6月19日


MRI検査。

当日朝食を摂らずに検査。

一回スキャンをした後、

造影剤をいれて撮影することに。

かなり入念な撮影だったような気がします。


6月21日


2日後、

MRIの結果を聞きに一人で病院へ。

やはり悪性の可能性が高いとのこと。

このとき、左卵巣は7~8cm。

早く手術したほうが良いとも。

良性の場合は手術のみでおしまい。

悪性の場合はその後の治療がある可能性があり

通院を必要とするかもということでした。


その病院は品川の先・・・

住まいの埼玉からでは無理と判断。

特に付き添う家族のことを考えると近くの病院でないとのりきれないし。

即、転院して治療したいと申し出る。


埼玉だとすると「がんセンター」かな、と思いつつ

「癌だとするとがんセンターが近くにありますけど」と言うと

「そこが一番いいと思います」と即答。

癌なんだとわかった瞬間でした。



2008年2月23日 記



2007年6月21日まで(1)

2007年4月


その日は職場の友人たちとランチ会。

浦和の美味しいカレーやさんで食事後、

ロイヤルパインズホテル ペストリーショップ ラ・モーラ 

でデザート。おしゃべりも、お腹もたっぷりで満足の1日でした。が・・・・


夕方、駅前のスーパーでお惣菜を買って帰宅。

お腹いっぱいだったけど、なんとなく主人に付き合い軽くお惣菜をつまむ。


0時ごろ入浴。

なんとなく気分が悪いような。

トイレに行ったところなんとなく胃?のあたりがむかむか。

う~ん、買ってきたお惣菜の油が古かったかな~なんて思ったりしましたが。


とその後、急速に吐き気、腹痛、下痢と続きとうとう娘に救急車を呼んでもらう。


運ばれた病院では「研修」の名札のドクターと鬼のような看護士さんに遭遇。

家の中から運ばれたのでもちろん靴なしの私。


看護士 : 靴はどうしたんですか?

主人   : 家の中から運ばれたので履いてきませんでした。 

看護士 : スリッパをどこかで買ってきてください。(ちなみに夜中の1時過ぎ)

主人   : はっ?!


履物をはいてない患者は見ないとばかりの剣幕で私を隅に追いやり

主人に早く行けとばかりに指示。

仕方なく主人は夜中の町にスリッパを求めて放浪。

もちろん買えず、その間私は車椅子に放置。

痛みはおさまらず意識は朦朧とするも何とか持ちこたえていました。


当然買えずに帰ってきた主人は怒り心頭で、

溢れんばかりの病院の外来用のスリッパを金を出すから履かせろと抗議。


すべてのやり取りがこんな感じで、

そのうち幸いにも様態が落ちついてきた私。

その間曲がりなりにもドクターであるはずの「研修医」さんは見てみぬ状況。

そして、病院のスリッパを履いた私をやっと診察。(スリッパはなんの意味???)

お腹を触っただけでいきなりレントゲンを撮ってくれの指示。


看護士 : レントゲン室にいって写真を撮ってきてください。


初めての病院で主人に車椅子をおされ迷いながらレントゲン室へ・・・・

その間も吐き気に襲われトイレで吐いたり・・・

それからも、信じられないような扱いが続き、

主人はこのままではここで死んでしまう、家に帰って暖まって朝早くホームドクターのところに行こう。

といい、待合室に転がされていた私を抱えて家に帰ってきたのです。

結局、処置なし。救急車は何だったのでしょうか?


もう、思い出しただけでも私、よく生きてたあせる


結局、朝1番でホームドクターに診てもらい、

即、血液検査。白血球数値が高く脱水症状もあった私。

「ウイルス性の胃腸炎」ではということで点滴。

その日の午後には落ちつきました。


これが後々の癌とどう結びつくのかは不明ですが。

もしかして、大きくなっていた卵巣が悪さしてたのかなぁ。


2008年2月22日 記
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