俺はアウトサイダー大林だ。
コロナで若い女の子とのコミュニケーションを封じられてしまっている現在、俺にはもう音楽しかない。
文章を書くにも、今現在の日常で、質の良い会話を人とかわす機会がまったくないので、どうしても過去にあった出来事を引っ張り出して来て文章のネタにしてしまい勝ちだ。
コロナ以前は、そう言えば、いろんな女の子と日常でからんだことを、こんなふうに出会ってこんな会話をした、みたいなことをブログやツイッターにあげて、それで世の中からものすごい嫉妬を受けていたなあ。
今思い返すと、あのようなネタの書き方は、後になっても実にならなかったし、記憶にも残らず、ただ世の中から凄まじい嫉妬を受けるだけで、ほとんど意味をなさなかったかも。
うーん、どんな女の子と出会って、どんな会話をしたとかを文章に書いても、あんまり意味ないかも。
出会って話しをして、そこからもう一歩踏み込んだ状況を作っていかないと、って思うな。
ただ単にイチャイチャ楽しく話して、ハイそれで終わり、じゃ実にならないわけよね。
まあもっとも、ここにきて俺も、彼女でもない女性とイチャイチャすることはなくなったし、つまりそういうのは卒業した、と思ってる。
元々俺は、人とのコミュニケーションのとり方、人との関わり方は、バーやなんかで学び修行をして来た男で、バー文化でのバーの店員さん達と客の関係性というのは、バーの店員さん同士でも店員と店の常連客とでも、友達のようで友達でなかったり、中には物凄く距離が近くなって、友達以上恋人未満の関係になりやすかったり、そして実際に店員同士、店員と客の間で恋人になったり結婚したりすることも珍しくなかった。
そんな濃厚な人間関係、男女関係の世界が元々の出身である俺は、最近までバーに通っていた頃の感覚が抜けきっていなくて、プライベートでも、工場なんかの職場でも、やはりその頃の感覚が完全に抜けていなかったと思う。
俺は約一年前まで通っていたカフェや派遣先の工場やなんかでも心をオープンにしてフレンドリーに周りの人達に接しまくっていた。
そのやり方で、バーに通っていた頃と同じように人と仲良くなれる、という感覚を持ってしまっていた。
ところがそうはいかなかった。
バーに通っていた頃は、店員やお客さんでこちらに好意を持って来る女性がいても、こちらにその気がなければ、絶妙な距離感をキープすることで、彼女達と友達以上恋人未満の関係でい続けることが出来たし、バーの世界ではそれが当たり前のようになっていて、けっして悪いことなんかじゃなかった。
まあもっとも、俺はそんなことにならなかったけど、身体の関係になる男女もいたことはいたけど。
でもいずれにせよ、すごくフレンドリーに振る舞って心をオープンにして女性に接して行っても一線を越えなければ問題なかったし、さっきから言っているように友達以上恋人未満の関係の女の子の友達を周りにいっぱい作って、そりゃあもうハーレムみたいに華やかだったぜ。
そんな生活を送っていたのが三十代の頃だったんだけど、側から見たら物凄く華やかだったかもしれないけど、本質的に、愛のある生活をしていたとは言えなかったし、俺が本当の本気の恋を知ることになったのは四十代に入ってからのことだった。
今になって思えば、俺が四十代に入ってからいろんな女の子達と立て続けにラブストーリーを展開出来たのは、三十代の頃にバーに通っていたので、女の子との間に壁を作らない関わり方に慣れていたせいだと思う。
だから躊躇なく出会う女子達と距離を縮めることが出来たんだと思う。
ところがだ、俺は知らなかったんだ。バー文化で通用した、友達以上恋人未満、の関係性を築くのは一般社会では不可能に近い、ということを。
俺は世間知らずの無知だったので、バーでやっていたことを、一般社会や職場でも通用させようとしていたんだ。
職場でバーの感覚で女性に接してしまったら、ことごとく相手の女性達から恋愛感情を持たれてしまうことになって、オバサンとかにまで求愛されてしまい、もう、もめにもめることになってしまった。
バー以外の店でも、同じようにややこしいことになってしまった。
つまり、友達以上恋人未満、の感覚で女の子に接しまくるやり方が通用するのは、バー文化だけみたいなのだ。
あと、バー以外なら、ライブハウスで女の子のアーティストにファンとして接する時のみ、ライブハウス内限定なら、女の子のアーティストと心と心がすごく近くなっても、ややこしいことになったりはしなかった。
とはいえ、俺がしばしばアーティストとファンの垣根を飛び越えるようなマネをしたのは事実だった。
俺は彼女達との関係で、ファンのエリアから彼女達アーティストの領域へ、しばしば、はみ出してしまった。
そうしなければ、彼女達と恋を始めることは不可能だった。
恋には危険がともなう。
リスクを冒す勇気がなければ、恋は出来ない。
俺は思う、リスクを冒して恋にトライしていけるかどうかで、男の本当の勇気が試されるのだ、と。
まあ四十代で恋の大冒険を繰り広げた俺だけど、この辺でそういうのはもういいかな、って思ってる。
価値観が変わったみたい。
女性にトライしていく際に感じていた、スリルや興奮、のようなものに興味がなくなったみたい。
言ってしまえば、女性というのは俺が考えていたほど面白くてエキサイティングなものってわけでもないみたい、っていうのがわかって来たせいかも。
今となっては、女性そのものよりも、女性アーティストなんかがつむぎ出す、音楽、というものの方に魅力と刺激と興奮を覚える。
ただ、副島美羽、にだけには非常に魅力を感じている。
どこがどういいのか説明出来ない。
なんかわかんないけど、俺は、副島美羽、がいい。
最後に、ツイッターにも書いたけどブログでも、今年2020年に俺が聴いて来た音楽の、ミュージックオブザイヤーを発表したい。
俺的2020年ミュージックオブザイヤーは、
ドラドラドラドラ〜 ジャン!
オルタナロックバンド、SEAPOOL、シープール、の
素描、という曲に決定❣️
イェーイ!パチパチパチ👏
この、素描、という曲、YouTubeでも視聴出来るから、みんな是非聴いてみて!
今年もいい音楽にいっぱい出会えた。
来年も素敵な音楽との出会いがありますように。
みなさん、良いお年を。
スウィートベイベー、おやすみ。
コロナで若い女の子とのコミュニケーションを封じられてしまっている現在、俺にはもう音楽しかない。
文章を書くにも、今現在の日常で、質の良い会話を人とかわす機会がまったくないので、どうしても過去にあった出来事を引っ張り出して来て文章のネタにしてしまい勝ちだ。
コロナ以前は、そう言えば、いろんな女の子と日常でからんだことを、こんなふうに出会ってこんな会話をした、みたいなことをブログやツイッターにあげて、それで世の中からものすごい嫉妬を受けていたなあ。
今思い返すと、あのようなネタの書き方は、後になっても実にならなかったし、記憶にも残らず、ただ世の中から凄まじい嫉妬を受けるだけで、ほとんど意味をなさなかったかも。
うーん、どんな女の子と出会って、どんな会話をしたとかを文章に書いても、あんまり意味ないかも。
出会って話しをして、そこからもう一歩踏み込んだ状況を作っていかないと、って思うな。
ただ単にイチャイチャ楽しく話して、ハイそれで終わり、じゃ実にならないわけよね。
まあもっとも、ここにきて俺も、彼女でもない女性とイチャイチャすることはなくなったし、つまりそういうのは卒業した、と思ってる。
元々俺は、人とのコミュニケーションのとり方、人との関わり方は、バーやなんかで学び修行をして来た男で、バー文化でのバーの店員さん達と客の関係性というのは、バーの店員さん同士でも店員と店の常連客とでも、友達のようで友達でなかったり、中には物凄く距離が近くなって、友達以上恋人未満の関係になりやすかったり、そして実際に店員同士、店員と客の間で恋人になったり結婚したりすることも珍しくなかった。
そんな濃厚な人間関係、男女関係の世界が元々の出身である俺は、最近までバーに通っていた頃の感覚が抜けきっていなくて、プライベートでも、工場なんかの職場でも、やはりその頃の感覚が完全に抜けていなかったと思う。
俺は約一年前まで通っていたカフェや派遣先の工場やなんかでも心をオープンにしてフレンドリーに周りの人達に接しまくっていた。
そのやり方で、バーに通っていた頃と同じように人と仲良くなれる、という感覚を持ってしまっていた。
ところがそうはいかなかった。
バーに通っていた頃は、店員やお客さんでこちらに好意を持って来る女性がいても、こちらにその気がなければ、絶妙な距離感をキープすることで、彼女達と友達以上恋人未満の関係でい続けることが出来たし、バーの世界ではそれが当たり前のようになっていて、けっして悪いことなんかじゃなかった。
まあもっとも、俺はそんなことにならなかったけど、身体の関係になる男女もいたことはいたけど。
でもいずれにせよ、すごくフレンドリーに振る舞って心をオープンにして女性に接して行っても一線を越えなければ問題なかったし、さっきから言っているように友達以上恋人未満の関係の女の子の友達を周りにいっぱい作って、そりゃあもうハーレムみたいに華やかだったぜ。
そんな生活を送っていたのが三十代の頃だったんだけど、側から見たら物凄く華やかだったかもしれないけど、本質的に、愛のある生活をしていたとは言えなかったし、俺が本当の本気の恋を知ることになったのは四十代に入ってからのことだった。
今になって思えば、俺が四十代に入ってからいろんな女の子達と立て続けにラブストーリーを展開出来たのは、三十代の頃にバーに通っていたので、女の子との間に壁を作らない関わり方に慣れていたせいだと思う。
だから躊躇なく出会う女子達と距離を縮めることが出来たんだと思う。
ところがだ、俺は知らなかったんだ。バー文化で通用した、友達以上恋人未満、の関係性を築くのは一般社会では不可能に近い、ということを。
俺は世間知らずの無知だったので、バーでやっていたことを、一般社会や職場でも通用させようとしていたんだ。
職場でバーの感覚で女性に接してしまったら、ことごとく相手の女性達から恋愛感情を持たれてしまうことになって、オバサンとかにまで求愛されてしまい、もう、もめにもめることになってしまった。
バー以外の店でも、同じようにややこしいことになってしまった。
つまり、友達以上恋人未満、の感覚で女の子に接しまくるやり方が通用するのは、バー文化だけみたいなのだ。
あと、バー以外なら、ライブハウスで女の子のアーティストにファンとして接する時のみ、ライブハウス内限定なら、女の子のアーティストと心と心がすごく近くなっても、ややこしいことになったりはしなかった。
とはいえ、俺がしばしばアーティストとファンの垣根を飛び越えるようなマネをしたのは事実だった。
俺は彼女達との関係で、ファンのエリアから彼女達アーティストの領域へ、しばしば、はみ出してしまった。
そうしなければ、彼女達と恋を始めることは不可能だった。
恋には危険がともなう。
リスクを冒す勇気がなければ、恋は出来ない。
俺は思う、リスクを冒して恋にトライしていけるかどうかで、男の本当の勇気が試されるのだ、と。
まあ四十代で恋の大冒険を繰り広げた俺だけど、この辺でそういうのはもういいかな、って思ってる。
価値観が変わったみたい。
女性にトライしていく際に感じていた、スリルや興奮、のようなものに興味がなくなったみたい。
言ってしまえば、女性というのは俺が考えていたほど面白くてエキサイティングなものってわけでもないみたい、っていうのがわかって来たせいかも。
今となっては、女性そのものよりも、女性アーティストなんかがつむぎ出す、音楽、というものの方に魅力と刺激と興奮を覚える。
ただ、副島美羽、にだけには非常に魅力を感じている。
どこがどういいのか説明出来ない。
なんかわかんないけど、俺は、副島美羽、がいい。
最後に、ツイッターにも書いたけどブログでも、今年2020年に俺が聴いて来た音楽の、ミュージックオブザイヤーを発表したい。
俺的2020年ミュージックオブザイヤーは、
ドラドラドラドラ〜 ジャン!
オルタナロックバンド、SEAPOOL、シープール、の
素描、という曲に決定❣️
イェーイ!パチパチパチ👏
この、素描、という曲、YouTubeでも視聴出来るから、みんな是非聴いてみて!
今年もいい音楽にいっぱい出会えた。
来年も素敵な音楽との出会いがありますように。
みなさん、良いお年を。
スウィートベイベー、おやすみ。