形容詞を減らすべきだったか?
いろいろ考える。
しかし、もう一人のレビューはやはり無茶だ。
まあ、こんなもんで。
記事を載せた。
やはり稚拙な部分は否めない。
まあでもどうなるか。。。
しかし、違う人がレビュー載せていたが、
佐藤名人が以前アマの加來さんに負けたというのを、
なんでこんなにも強調するんだろうか?
違和感というか悪意があって、正直気持ち悪い。
やはり佐藤名人についての記事はまだ的を得てはいないと思う。
ほんの数か月前
あるニュースが将棋ファンのザワメキを乎んだ。
羽生名人の叡王戦参加。
今さら説明するのも余剰に思うし、無粋にも感じるが
現在の将棋界で実力実績、人気知名度で圧倒的なのは
羽生名人をおいて他にはない。
その羽生名人が
「もしかしたらコンピューターと対戦するかも」という可能性だけで
ニュースにもなりSNSでも賛否を含んだ意見が乱舞する。
そんな羽生名人が今回の名人戦で、ある若者に頭を下げた。
佐藤天彦八段である。
佐藤天彦八段の最近の活躍はめざましく、
唸りをあげて昇っていく龍のような空を裂く勢いで、
実力者が揃うA級順位戦でも独走、
他棋戦でもタイトル挑戦者になっていた。
さすがに注目を集めて、
羽生名人から名人位を奪った後この若き棋士を
複数のメディアが取り上げた。
クラシック音楽を聴き、ベルギーの高級ファッションを着こなす。
ニックネームは「貴族」。
記事はだいたいこんな感じ。
それにしても。。。
「貴族、貴族、貴族・・・・・」
癇癪を起した小さな子供が四方八方におもちゃを投げるように
方向性を定めずに乱発されるこの「貴族」というフレーズ。
第一感は疑問手。
網膜を通し脳に伝わる度に不思議な感覚や反射的な違和感を感じないだろうか?
「貴族」というフレーズやステータスに惑わされて
彼の棋士としての輪郭を歪めて視てはいないだろうか?
もうすでに本誌を除き複数のメディアは
焦点の合わない記事や思考で彼を捉え損ねている。
名人戦の前後彼はいつものようにインダビューを受けていた。
語る内容は非常に聡明で理知的。そして一切の淀みがない。
彼を「貴族」と呼ぶならばこの部分ではなかろうか?
佐藤名人となったからも驕りや高貴を誇る様子はない。
叡智的で冷静。そして誠実に将棋と向き合っている。
彼はもう一人で歩いている。
彼はどこに在るのか?どこに行くのか?
私も含め誰もが見失っている気がする。
無念である。