先週の梅棹忠夫に続いて、今週は村上春樹
のバルセロナでのスピーチに刺激を受けて
います。
世の中では、賛否両論あるようですが、
自分は共感するところが多かったです。
村上の
「効率」 対 「夢想」
の話は
梅棹の
「理性」 対 「英知」
の話に
重ね合わせることができました。
村上は、自然という大きな力の前では、
人は無力で、「無常」という世界感が、
わたしたちの心の根底には流れている、
といいます。
それは、悪くいえば「あきらめ」の境地
にも似ている。ただ、そこには、
儚さに魅かれる「美意識」もある。
滅びたものに対する「敬意」もある。
すべてを受け入れる「謙虚さ」や
「しなやかさ」もある。
焦土の中にあって夢見る「前向き」さ
もある。「たくましさ」もある。
自分がみた東北の被災者の姿に重なり
ます。
「無常」という日本人の世界感を考えて
みると、「想定外」という言葉を自分も
含めた日本人がやたらと使っていることに
違和感がでてきました。
「無常」をベースにすれば、「想定外」は、
「有常」ということなのでしょう。
「絶対安全」とか「絶対〇〇」は「有常」
の世界であって、それこそは、我々日本人
にとって「想定外」のことになります。
日本人にとって「想定外」であるはずの
「有常」の世界が少し幅を利かせすぎて
しまったのかも知れません。
梅棹のいう「英知」、村上のいう「夢想」
によって、触れた振り子を元に戻していく
作業が必要になってきました。
自分もこれに貢献できればいいのですが。。