橋本知事の討論会
橋下大阪府知事と高校生の討論会をニュースで見ました。
議題は、大阪で私学助成金を削減する事についてのものでした。
「ここ(私学)しか入れなかったし、家にはお金がない。助成が打ち切られては困る」という高校生に、知事は「日本は自己責任の国。私学に通えないなら公立校にいく努力をするか、日本を出ればいい」と発言していました。
反面教師として知事の姿勢は上出来だったでしょうが、政治家としてはお粗末な対応だったといわざるを得ません。
「いらない道路を作るお金があるのに、なぜ助成を削るのか」という高校生の問いに対し、「それはあなたの意見ですよね?あなたが政治家になって変えればいい」と答えていた知事ですが、それでは日本において代議制をとる意味がありません。
それとも、独裁者を演じるつもりで知事は言ったのでしょうか?
簡単な話ですが、代議制がとられていなければ誰かを政治家にする必要もありません。
逆に言えば、代議制を執っている以上、知事は府の代表であり、たとえ高校生でも相手は大阪府民であれば意見を尊重するべきです。
(府民の言いなりになれといっている訳ではありませんが。)
この件について、コメンテーターの木村太郎氏はニュースの中で、
「私学は公共のものではない。憲法は公共のものでないものに助成は出来ないという記述がある。
橋下知事が言いたかったのはそういうことではないか」
と言っていました。
確かに、献金欲しさに学校その他のハコを立てるとか、天下り先の行政法人を作るとか、麻生首相のように税金で高架道路を作って親族の会社に仕事を発注して欠陥品を取り付けさせる(第一、疑いをかけられたくないなら親族の会社に発注すべきではない)などの事例であれば、その憲法に違反する(公共の負担に比して見合う投資でない)でしょう。
しかし、私立高校を受験するのは癒着や既得権益の恩恵を得た限られた人間というわけではないし、
公費で家庭教師をつけるわけでもない。
義務教育を終えた人間は、原則として誰でも私学を受験出来るはずです。
これが公共のものでなくて何でしょうか。
もっといえば、知事もまた、助成はしないという言い方ではなく、討論した高校生達と同様、大阪にはお金がないのだと説明すれば共感を得られたのではないでしょうか。
討論ではなく嘆願であれば結果は違うものになっていたかもしれませんが、
この討論会の内容について、僕達はいま一度考える必要があるのではないかと感じました。
議題は、大阪で私学助成金を削減する事についてのものでした。
「ここ(私学)しか入れなかったし、家にはお金がない。助成が打ち切られては困る」という高校生に、知事は「日本は自己責任の国。私学に通えないなら公立校にいく努力をするか、日本を出ればいい」と発言していました。
反面教師として知事の姿勢は上出来だったでしょうが、政治家としてはお粗末な対応だったといわざるを得ません。
「いらない道路を作るお金があるのに、なぜ助成を削るのか」という高校生の問いに対し、「それはあなたの意見ですよね?あなたが政治家になって変えればいい」と答えていた知事ですが、それでは日本において代議制をとる意味がありません。
それとも、独裁者を演じるつもりで知事は言ったのでしょうか?
簡単な話ですが、代議制がとられていなければ誰かを政治家にする必要もありません。
逆に言えば、代議制を執っている以上、知事は府の代表であり、たとえ高校生でも相手は大阪府民であれば意見を尊重するべきです。
(府民の言いなりになれといっている訳ではありませんが。)
この件について、コメンテーターの木村太郎氏はニュースの中で、
「私学は公共のものではない。憲法は公共のものでないものに助成は出来ないという記述がある。
橋下知事が言いたかったのはそういうことではないか」
と言っていました。
確かに、献金欲しさに学校その他のハコを立てるとか、天下り先の行政法人を作るとか、麻生首相のように税金で高架道路を作って親族の会社に仕事を発注して欠陥品を取り付けさせる(第一、疑いをかけられたくないなら親族の会社に発注すべきではない)などの事例であれば、その憲法に違反する(公共の負担に比して見合う投資でない)でしょう。
しかし、私立高校を受験するのは癒着や既得権益の恩恵を得た限られた人間というわけではないし、
公費で家庭教師をつけるわけでもない。
義務教育を終えた人間は、原則として誰でも私学を受験出来るはずです。
これが公共のものでなくて何でしょうか。
もっといえば、知事もまた、助成はしないという言い方ではなく、討論した高校生達と同様、大阪にはお金がないのだと説明すれば共感を得られたのではないでしょうか。
討論ではなく嘆願であれば結果は違うものになっていたかもしれませんが、
この討論会の内容について、僕達はいま一度考える必要があるのではないかと感じました。