ドラマがあばいた(かもしれない)動物行動学の欠陥 | マイノリティ・リポート

ドラマがあばいた(かもしれない)動物行動学の欠陥

 以下の【】内は「科学者へ等身大のまなざし」と題された、朝日新聞(本日付発行)文化面のドラマ評の抜粋です。

 評者は佐倉統 東京大助教授。

 既に読まれた方はすっ飛ばしてください。
長くてすみません。

【(前略)

 月曜九時のテレビドラマの道具立てに使われるなんて、動物行動学が普通の存在として認知されたようで、なんだかホッとするではないか。

もっともこの学問は、たとえばデズモンド・モリスの『裸のサル』のように、人間を「動物」として相対化する語り口が昔から人気のあった分野だ。

 その延長線上に、このドラマの中で浮気の言い訳として引用される「利己的な遺伝子」説のような現代版の理論も、社会に普及定着した。
「不機嫌なジーン」は、その帰結として立ち現れたのだと見ることができる。

 もちろん、専門家のはしくれとして、ドラマの細部に違和感を覚えないわけではない。まさかあんな本は教授は使わないだろう、とか、学者の名前が違うぞ、とか。でも、全体としてみれば、そういったところがさして気にならない。

 科学者への等身大まなざし、みたいなものが感じられるからだろうか。

(以下略)】

 あとは、研究室の風景が僕の大学院時代と似ている、とか、ドラマと違って実際は学会主催の受賞パーティーはこんなに豪勢じゃない、医学や産業、経済学の学会は豪勢だが、などと研究にお金が下りない不遇さの話が続く。

 ちょっと失望したよ。 

 だって、「利己的な遺伝子」説が浮気の言い訳にされてるのに、それが動物行動学が社会に定着した証だと言うんだから。

 本能なんだからしょうがない・・・わけないと思うんだけど。

この人は「さして気にならない」なんて言えない問題を見過している。

 動物行動学は、ヒトの理性を考慮しないのだろうか?

 理性は後天的な性質かもしれないけど、それでもヒトが実際に生活する上で、重要な基盤になっている事に疑いはないだろう。

 ヒトを動物行動学的に見るなら、ヒトの後天的性質をも考慮しなければ意味がない。人は本能だけで生きているわけではないのだ。

 動物行動学の研究のために条件を制限している(この例でいえば、理性をないものと考える)のならまだ分かるけれど、それにしたって、特殊な条件から導き出された結論を一般論にすりかえるのは間違っているだろう。

 「利己的な遺伝子」説を浮気の言い訳にするのは、むしゃくしゃして人を殺すのは本能的な衝動だから仕方ない、と言っているようなものだ。

 動物行動学というのは、大学の金を使って浮気の言い訳を裏付ける学問なのでしょうか?

 これでは、予算がつかないのも無理はない。

むしろ、予算がついていることは奇跡だと言ってもいい。

 念のために言っておきますが、僕がここで言っているのは、ドラマの中で理性という、ヒトの側面が考慮されていないということを、当の動物行動学者が指摘していないということであって、浮気の倫理性を問題にしているわけではありません。それは別の問題です。

 動物行動学が不毛な学問だと言っているわけでもありません。

 ドラマはフィクションなのだし、所詮テレビでやることですから目くじらを立てるつもりはないです。

 「不機嫌なジーン」観てないし・・・。

 この記事、もうちょっとなんとかならなかったものでしょうか。
 新聞向けに話題を持ってきたのかもしれないけど、動物行動学の面白い話とかならもっと良かったのにと思いました。