コザクラさん心の日記。 -2ページ目

コザクラさん心の日記。

お菓子作りとかお料理大好き。コザクラさんは、京都にある小さな会社の経営者です。

いつもいつも、会社の経営と彼のことを考えてるので、カフェとお菓子と経営の、変なブログです。

ほぼ、彼氏大好き日記です。

息子が貸してくれた本に不覚にも感動してます・・・

 

たぶん、息子と同じ中学生の時に読んだのなら、また違っていたと思う。

 

私が不覚にもこんなにも共感でき、感動している理由は、いろいろ人生について考えていたことの答えがここにあったから。(ような気がするから)

 

 

膵臓を悪くし、死期がせまっている女の子は明るく元気で活発な女の子。その子がひかれていたのは、クラスでもたった一人でいつもいる少年のこと。

 

 

2人はまったく違う性格で、まったくちがう環境の人だった。

 

 

恋愛、と一言ではかたづけられないような2人の関係がそこにあった。

 

 

本の内容は語らないが、私は、この「まったく違う2人」が今の彼と私に重なってしまった。

 

 

本来、まったく違う世界に生きる、まったく違う生きかたをしてきた2人。

 

 

私と彼も、そう。出会って手をつないでいることが、不思議。

 

 

けれど、それは運命ではなくて「選択してきたんだよ」と、本では語られていた。

 

 

私が高校生のときに吹奏楽部でグーを出してじゃんけんに負けてトロンボーンをしたことも。

 

 

過去の私のおかした誤った恋愛も。

 

 

検索をしてヒットしたバンドに入ったことも。

 

 

お父さんがなくなって答えを聞けなかったことも。

 

 

彼のブログにコメントしたことも。

 

 

今、彼といて幸せなことも。

 

 

そして、本の2人はお互いを「君のような人になりたい」と思っていた。

 

 

彼女は人間関係の中で自分を作り、人がいるから自分の存在価値があった。だからいつも人と関わろうとしてきた。

 

 

彼は、人と関わることをしなかった。比べるものは常に自分。人から好かれようが嫌われようが、そんなことは自分には関係なかった。

 

 

私の彼は、私のことをどう思っているのか、知らない。

 

 

けれど、私も本の女の子と同じで、「彼のような人になりたい」といつも思っている。

 

 

彼の評価はいつも自分。他人とくらべないで常に自分。

 

 

そんな彼を私ははじめ「さみしくないのかな」と思った。

 

 

と、同時に「すごい人とだな」とも思った。

 

 

会社でつらいことがあったときも、女の子に騙された日も(笑)、くやしかった日も、いつも誰にもうちあけることなく生きてきた。

 

 

私にはそんな強い生き方ができない。

 

 

誰かにかかわることで常に安心してきたし、一人でいたことがなかった。

 

 

評価は「他人」がつくっていた。

 

 

私は、彼に出会ってからは人生が変わった。

 

 

考え方も、生き方も、なにもかも。

 

 

「愛している」という言葉以外で表現するとしたら、この本と同じ。

 

 

「君のような人になりたい」

 

 

死期は誰にでも訪れる。

 

 

私は彼と13歳も離れている。普通に考えたら、彼がさきに死んでしまうのかもしれない。

 

 

けれど、そんなことはわからなくて私が先に死んでしまうのかもしれない。

 

 

死期の話ではなくて、「あとどのくらい笑いあって過ごせる時間が残されているのかな」ということ。

 

 

あとどのくらい彼のことを知って、

あとどのくらい彼と笑いあって、

どれだけの幸せの時間を過ごすことができるのかな。

 

 

そうかくと、まるでもう時間がないようなのだけれど、本を読むとそんなことを考えさせられた。

 

 

私は彼がダンプの事故にあった日に、確信した。

 

 

彼がいない世界、なんて想像することさえなかったけれど、あの時の感情は忘れられないし、そんな気持ちになったのもはじめてだった。

 

 

あのとき、「自分」というささいな日常が「彼」によって作られていることがはっきりわかった。

 

 

事故の日、ちゃんと生きている彼をみたときに、何かが起きて、時間をまきもどせたらこんな感じなんだろう、って思った。

 

 

本の中の2人は恋人同士ではない。

 

 

何かキスや体の関係があるわけでも「愛してる」とささやいたわけでもない。

 

 

でも、それ以上の繋がりがあった。

 

 

私は、自分にちょっとだけコンプレックスがある。

 

 

彼が今まで関係してきた女の子や好きになった女の子のルックスや顔

や外見の中では、おそらくどうしようもないくらい一番低いだろうということ。

 

 

ちょっとだけ写真をみたことがある。

 

 

長身できれいな黒髪で、スラっとした顔だちをしていてあきらかな「美人」だった。

 

 

以前、好きだったという彼女もクォーターということだから、超日本人の私には到底スタイルもなにもかも見劣りするだろう。

 

 

昔、彼は私に、その彼女は美人すぎてつりあわないと言っていた。

でも、私は、あはは・・・って。

 

 

そうなのだ・・・・それは仕方がない・・・だからいつも美容整形が気にな・・・

 

 

と、ここまでかいてきて涙がでてきた。違う!そういう話ではない。

 

 

でも、涙が出るくらいにコンプレックスなのは今でも間違いない。

 

 

彼の一番になりたい、今もそう、思っている、

けれど、彼はそういう外見の子を選んできたのだからそれは、仕方がない。

 

 

でも、自信のあることが私にはある。

 

 

この本と同じかもしれない。

 

 

誰よりも「心を通わせてきたということ」

きっと誰よりも「彼のことを知っていること」

 

 

本では、それが「生きること」だとしてあった。

 

 

私も、そう思う。

 

 

彼と笑いあうこと。

彼の涙をみること。

彼の困った顔、彼の無邪気な顔。彼との夢を語ること。

 

彼と旅行にいってその土地の「空気」をすうこと。

彼に励まされること、彼の心を抱きしめること。

 

 

全部、大切な瞬間。

 

 

そういう瞬間の連続を「愛している」と思う。

 

 

私は過去、いろいろな恋愛をしてきた。離婚歴もあるので長くともにした元旦那様もいる。

 

 

けれど、年月は関係ない。いままで好きになった人も含め、決定的に彼への感情と違うものは、なんだろう、と考えていたのだれど、それが

 

 

「君のような人になりたい」という感情なのだと思う。

 

 

この本の気持ちとよくにている。

 

 

私は「会うべき人に出会った」とさえいつも感じている。

 

 

複雑な状況で、私は生きている。

 

 

お父さんに「愛しているってなんだろう」という答えも聞けなかった。

 

 

けれど、彼が教えてくれた。

 

 

たぶん、お父さんとは正反対の答え。

 

 

お父さんは私に自分と反対の生き方を教育的に話しただろう。

 

 

たぶん、生きていたら、彼はまっさきにお父さんに殴られるだろう。

 

 

お父さんは本当に娘のためなら殴る人。殴りこみにくる人。

 

 

会社を辞める、旅に出る、私の仕事を手伝う、結婚しない。

この人と、一緒に暮らします。

 

 

笑。文字を並べると、大変なことになってしまう。

 

 

けれど、一番大事な生き方を教えてくれた人・・・・とはお父さんには通じないだろうな。

 

 

きっと、誰もわからない私の気持ち。

 

 

けれど確実に「君のような人になりたい」

 

 

愛している、を超える言葉なのかもしれない。

 

 

この本は私に、愛しているとは何なのか、を気づかせてくれた。

 

 

息子は、どのくらい、この本を理解できたのだろう。

でも、きっとそういう人に出会ったときに、またわかるのだと思う。