ゾンビが出てくる訳でも、映像が特別ショッキングな訳でもないのに、吐き気をもよおすようなおぞましさ。
にもかかわらず心に残ったのはなぜだろう。
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【第1の理由】 終始場面が "明るい" という、悲惨な内容とのギャップ。

舞台は夏のスウェーデンの奥地、森の中の小さな村。

草原を爽やかな風が吹き抜け、木々や草花が揺れる。
そんな楽園のような風景の中、天使のような子供たちが走り回っている。

90年に1度開催される「夏至祭」の準備を進める、ふんわりとした白装束に可憐な花冠を着けた村人たちは、観光客である主人公たち数人の大学生を優しく歓迎してくれる。



メンヘラで心が弱く、彼氏に愛想を尽かされないかいつもビクビクしているヒロイン:ダニーの心も十分癒えそうだ。

ところが、観ている私は、なぜか居心地が悪い。白夜の時期のため、物語の終わりまでほぼ真っ昼間が続くが、その"明るさ"がやけに"白々しい"のだ。
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祭りが始まると、野外の集会広場に設えられた長テーブルで、皆が会食を始める。

しかし、愉しいはずの宴が、なぜか非常に重苦しい雰囲気。

観光客であるダニーや恋人のクリスチャンを始め、外部の人間たちは、その重苦しさから、空腹なのに食べる気が失せるほど。

この緊張感と暗さの理由を、ダニーと共に、間もなく私も目の当たりにすることになる。

それは、世にもおぞましい祭りの序章に過ぎなかった。


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ここからは⚠️ネタバレが含まれてくるので、絶対に観ないという方だけ読んで下さい。
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【第2の理由】最後の最後まで"救い"がない。

映画を観慣れている私は、どうせ主人公たちの脱出劇になり、ヒロインとその恋人はすんでのところで助かるに決まっているし、友人の何人かも生き残れるのだろうと高をくくっていた。

ところが、その甘い期待は、監督にあざ笑われるように打ち砕かれる。

ヘドが出るような悪趣味な映画だと思った。
こんな作品がなぜ、世界中で高い評価を得て、幾つもの賞を受賞できたのだろう?
何が人を惹き付けたのだろうか?
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【第3の理由】異常なのは、誰?

この作品を観ている間は、

カルト集団的な村人たちと、豹変するメンヘラ主人公が異常すぎるのであって、もちろん、

観客である私達には全く無縁な、恐がらせるためだけに創られた100%フィクションに思える。


しかし、よくよく考えてみると、実際に手を下さないだけで、観客である私達も、いけすかない人間の首を絞めてやりたくなる時もあるし、保身のために小さな裏切りをすることもある。

でも私達は、それが自分の事となると、もっともな理由を幾つも頭に浮かべて、「これはやむを得ないこと」だと自分を正当化したり、

「そんなひどいことを思ってはいけない…イケナイ…思ってもいない!」と自分を欺く。

そして、そんな心の中のグチャグチャをおくびにも出さず家族と接し、職場の人間にへつら笑う。

そうか!…そうなのだ。
この映画の終始一貫した「明るさ」は、私達の日常によく見られる、表面的平和に満ちた光景なのだ。


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【総括】

ということで、私にも心当たり大ありの、内と外のギャップの気味悪さ。

日頃見て見ぬふりをしている己の闇を見せられたから、吐き気がするほど不愉快だったのだ。

しかし、私にとってこの映画が、強く印象的だったけれども傑作とまでは言えないのは、

ラストで、弱々しくお人好しだったヒロインが、村人に女王のように扱われ、恋人に復讐し、万能感と満足感に浸るのだが、

彼女が、成長も進化も一切していないところだ。

この万能感や満足感は、一過性のまがい物であるから、孤独な彼女がこのまま村人の家族になれたとしても、

また同じような人間関係を作り、同じような苦悩を抱え、その度に他人のせいにして、さらに苦しみを増大させていくだろう。

ここで、スティーブン・キング原作の【IT】を思い出した。


成人した主人公たちは、ITを排除するのではなく(逃れよう、やっつけようとしている時は、延々囚われ続けた)、己の心の闇に向き合うことで、ITを一瞬で消失させた。

同じようなテーマは、庵野秀明監督が、【シンエヴァンゲリオン】でも描いている。


さすがキング✨
さすが庵野秀明✨✨
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【最後に……】

最後はなぜか、スティーブン・キングと庵野秀明を誉めて終わってしまいました😅

このしたり顔の深層心理、想像してみて下さい⬇️