※FFTを1回以上クリアしてから

読まれることを想定しています。

 

※完全私見です。

 

 

目次

FFTが物語るもの

chapterが表すもの

英雄の定義

感想など

おわりに

 

FFTが物語るもの

戦争のあった時代に
2人の男性を取り上げ、
どちらが真の英雄であったのか論じる。
 
この物語は、
そんな人物比較論文の断片である。
 
あなたを冒険にいざなうアラズラムとは
自分の先祖の正しさを主張する学者だ。
 
この物語の主人公はラムザだ。
普通にプレイしたら、
史実を覆して、真の英雄は
ラムザだと思わせる構成になっている。
 
ラムザこそ真の英雄であると説き
処刑されたアラズラムの祖先、家柄が、
そう結末することで浮かばれるのである。
 
相当に戦略的な物語であるといえよう。
 
その物語を紐解いてみる。
 
主人公ラムザと親友ディリータは、
兄弟のようにベオルブ家で育ってきた。
獅子戦争前年の19歳のときから、
彼らはお互いを見ながらも、
手を組まず、
敵対もせず、
各々の道を歩いていく。
 
ラムザは貴族出身でありながら
家や身分を捨ていち傭兵になり、
奇妙な人間関係を築いていく。
 
それは同じ目的と信頼で結ばれた
仲間という集団だ。
 
ただラムザを信じる者は
ディリータを信じないのに、
ラムザ自身はディリータを否定しない。
 
それどころかディリータを信じ、
人ならざる者の排除へと突っ走る。
それが自分の正義だと信じて放置する。
 
結果ラムザと
ディリータの一部の活躍は暗躍となり、
歴史の表ではディリータが英雄となる。
 
ラムザが暗闇で魔物相手に奮闘する間、
ディリータは荒れた国を平定した。
 
(ここのディリータの行動が
 英雄的であるはずなのに、
 全部省かれているのは残念)
 
ラムザの行為はすべて暗躍になるよう
ディリータが手配することにも、
ラムザは一向にかまう気配がない。
 
これはラムザの生育環境に
起因すると思われるが、
彼の母親は姓以外一切登場しない。
 
唯一わかるのは異母兄弟である兄たちと、
母を同じくする妹との関係性だけ。
 
腹違いだからこそ
少しの功績でやけに褒められるし、
ベオルブ家の一員だと逐一言われる。
 
それを嫌う自分を妹が知っていることに、
ラムザは気づいている。
 
 

chapterが表すもの

chapterで題されるものは
すべてラムザかディリータに当てはまる。
この話はあくまでこの2人の比較なのだ。
 
chapter1、持たざる者。
これはディリータをさす。
 
ベオルブ家の領内で暮らす兄妹。
彼らは幼い頃に病で両親を亡くし、
領主に養子として引き取られる。
 
偽りの身分を与えられた彼らは、
ベオルブの名を語ることもできない。
貴族世界で身分差別に耐えながら、
ラムザの片腕となることを期待される。
 
妹をベオルブ家の令嬢として
拉致されたことで、
ディリータは自分には力がないと嘆く。
 
兵に命じて目的のために
部隊を編成する力だ。
ラムザ・ベオルブにはあるのに。
ディリータ・ハイラルにはない。
 
僕は持たざる者なんだ。
持っているラムザは何も言えない。
 
実はこのディリータの認識は
間違っていると、
ラムザの行動で証明される。
 
ラムザは家柄を捨てても、
目的を共にする仲間が多くいて、
多くの難敵を撃破していく。
 
つまり目的と人望の問題なのだが。
 
話を戻そう。
ジークデン峠で行われるのは、
ディリータの妹ティータの救出作戦、
のはずだった。
 
ベオルブ家は平民ティータの命を
目的のために切り捨てた。
 
奇策で貴族に仇なす躯旅団は滅び、
ディリータは消え、
現実を受け入れられないラムザは
ベオルブ家を去る。
 
以後ディリータは自身の目的である
理想国家実現のために
周囲を利用する立場となる。
 
やはりディリータに
仲間を作る意識はない。
 
これも彼の育った環境のためか。
平民なのに貴族の一員として
振舞い続けてきた偽りの時間。
それが長すぎたか。
 
唯一心を許せる妹は義兄に殺された。
 
無関係ではないだろう。
物語中のディリータの本心は、
見ていてとても疑わしい。
 
比べてラムザはまっすぐである。
口にする通りの行動を起こしていく。
 
話を戻す。
 
ディリータに大いに利用された者の
ひとりがラムザだ。
chapter2、利用する者される者とは、
この時期の2人の関係性をさしている。
 
ディリータは王家に匹敵する権威がある
教会に身を寄せたと思われる。
その方法や経過は
物語中定かではない。
 
ティータ死亡の1年後
王女誘拐事件で
ラムザとディリータが再び出会った。
 
王女誘拐事件への介入は
ベオルブ家への介入であり、
ディリータは想定内のように
涼しい顔をしてラムザを見やる。
 
彼を見て愕然とした時点で、
ラムザは利用される側だった。
 
ラムザがディリータを利用したと
指摘を受ける場面がある。
 
利用する、されるに関して、
ラムザには自覚がないことが
明確になる。
 
chapter3、偽らざる者。
これはラムザのことしかさしていない。
 
聖石を複数所持していて
何も起こっていないのは、
所持者がラムザだからである。
 
ラファは持った途端に使用している。
彼女やその兄が偽らざる者ではない。
 
「聖石は使う側次第じゃないのか」という
セリフがある。
 
そもそも使わないことが人として正しい。
ラムザは行動でそう言い続けている。
 
chapter4、愛にすべてを。
ラムザ、ディリータ、
両者に当てはまるといえる。
 
妹を救うために次元を超えたラムザ。
 
愛する王女に愛を伝えるディリータ。
 
やはり、
ディリータの行動は、
それまでの言動から疑わしい。
 
生存が期待されるラムザに比べ、
ディリータには悲しい最後が待っている。
 

英雄の定義

ゲームを終えても、
普通に考えたら、
英雄はディリータのほうである。
 
彼は誰の目にも映る現実と戦い、
人々の生活を安定させた。
 
残った貴族の反乱や
アラズラムのような学者により、
そんなに平和ではなかったと思うが、
それでも歴史的英雄は彼だ。
 
ゲーム中では全然描かれていないが
平民出身の王が誕生したことで、
畏国は大きな変革を遂げただろう。
 
英雄譚として語り継がれているなら、
彼の行動は多くの人を助け、
そして支持されているということだ。
 
ただ彼の功績は、
ゾディアックブレイブが存在していたら、
成り立たなかっただろう。
 
一軍事力などでは歯が立たないと、
リオファネス城の惨劇でわかる。
 
資料がなく奇妙なのが、
聖天使が自分を倒した末裔、
といった内容の言葉を発すること。
 
ラムザとアルマの血、になるが。
それとも人柄をさした言葉なのか。
 
こればかりは謎である。
 

感想など

FFTのどこが面白いのかと
聞かれたことがある。
 
戦士としての育成方法の多様さと
バトルシステムだと言いたいが、
シナリオ的な面白さでいうと。
 
歴史的分析、
それも常識を覆すような切り口で、
物語が構成されているところだ。
 
それは一人称視点ではなく、
三人称視点で繰り広げられる。
 
プレイヤーはアラズラムが並べた物語を
順番に見るだけの観客で、
主人公操作は基本的にバトル中だけ。
 
イベント中にはセリフがあるが、
非常に短く端的な、感情的発言が多い。
 
途切れ途切れの短い場面や
ざっとしたプロフィールしかないため、
非常に感情移入がしにくい。
 
荒々しい発言が多いのに、
淡々と進む印象で、
キャラとプレイヤーに温度差ができやすい。
 
だんだんと話や行動範囲が広がり、
最終的に世界の真実が
プレイヤーに伝わるのは、
FFならではの構成だと思える。
 
ただラムザやディリータ自身が
世界の解明を追求していない。
 
最重要と思われたフューネラルは、
想像以上に何も語らず死ぬ。
 
究明を生業とする仲間もいないため、
聖石とは、
ルカヴィとはなんぞやという部分が
若干煮え切らず、情報が少ない。
 
アラズラムが自分の社会的な
名誉挽回を目的に
作った物語のためだと思われる。
彼も世界の究明者ではないし、
英雄でもない。
 
クリア後も聖石は存在し続け、
同じことの繰り返しが起こっていく。
 
幾度も起こる波の中のひとつの話を
アラズラムが発見し利用した。
 
それでラムザが真の英雄って、
言えるのかねえ。
そんな想像しかできない。
 
よってストーリーの完成度としては
FFとしては残念な印象なので、
外伝、の位置がふさわしい。
 
発展途上の欧州のような世界観と、
貴族的な様相を帯びた音楽、
葛藤する人々の多様な生き様は、
個人的には好きである。
 
ついでに言ってしまうと、
ラスボスは非常に物足りない。
グラフィックが縦に長いだけである。
 

おわりに

好き勝手のたまったけど、
大好き、FFT!
 
おわり。