自由は人をだめにする。

暇は求めるから良いのであって、実際に暇になるのは人を堕落させる。
だから理想主義者が自由を語るのは良いことだ。
でも実際に世界に自由をもたらしては社会は崩壊するし、そんなことはあってはいけない。

経済的豊かさを手に入れた日本は、直接的に生きるための活動(衣服を作り、食べ物を作り、住居を作る)をしなくてもほとんど支障なくなった。

だから学生の私は、親の仕送りで遊びほうけられるし、一日中ネットに取り付いたりできてしまうのだ。

自由を越えるのは人間の理性だ。

自由の中でも、自分に厳しくストイックに生きれるか。

他人の生き方がすごく気になってくる。他人が堕落していれば自分も堕落する。
周囲の環境は非常に重要な要素ではないだろうか。

だから

生きることをやめてはいけない。
便利さに飲み込まれてはいけない。
そういうライフスタイルを日頃から作っておかなければならない。

なるべく自炊する。
なるべく歩く。

選べる自由に克つのは自分の感性からくる理性だ。




究極の楽観者は、否定することを知らない。
世の中では肯定することの大切さを宗教的に叫ぶが、否定することの重要さはあまり教えてもらえない。

NOと言えるのは自分の考え方をしっかり持っているからだろう。
NOが言えないために矛盾を招き、それをスピリチュアルの世界で納得しようとするのは自己中心でしか物事を考えられない証だろう。

生活力というものが私は大切だと思う。
どんなにすばらしい体験をして、それを人に伝えられても、生活が荒んでいたらなんだか、説得力もなくなる。
他人に頼らず、自分の力で社会の中で生きていける。
その上で他人と協力することも覚えてほしい。

人は一人で生きていけないというような文句に逃げるのではなく、せめて自分のことは自分でなんとかしてやろうという意思が根底になければ、私は助けたいとも思わない。


私の提供する優しさや自由に飲み込まれるのではなく、理性を持ち、自分で生きることによって共に新たな創造ができるような考えを持っていてほしい。