人は何のために生まれてきたか  ー自由と差別ー | トレーナーの焦点

人は何のために生まれてきたか  ー自由と差別ー

今回のコラムはかなり哲学的なシリーズです。

 

 

第1回目は「自由」について。

 

人間は何のために生まれてきたのか?

生まれてきた目的はいろいろありますが、

一言でいうと、

「学んで成長するため」

 

 

何を学ぶか?

今回はその一つ、

「自由」について考えます。

 

 

あの世は完全に自由な世界です。

病気もないし、お腹もすかない。

欲しいものは何でも手に入るし、不要なものは出てこない。

思った物が何でも手に入るし、行きたいところに行ける世界です。

 

しかし、

この世に生まれてきた途端、この自由が無くなり、

「不自由」になります。

 

これは、

「不自由を知ることで自由を知ることが目的」なのです。

 

先日国会でも問題になったのが、

「同性婚、同性愛者」についての首相補佐官の差別発言について。

 

本当に情けない、程度の低い話です。

 

あの世では性別はありません。

そして、究極的には自分と他者の区別もありません。(そこまで行くには相当高い霊性が必要ですが)

 

しかし、この世では性別があります。

本来、生物の目的が子孫を残す事であるならば、

別に性別はいらないはずです。

 

アメーバの様に分裂を繰り返しても良いはずです。

もう少し高度な生物でも無性生殖の生物もいます。

 

では、神はなぜ性別を作ったのでしょう?

 

それはあえて性別という不自由なものを作ることで、

不自由を経験し、自由とは何かを深く考えさせるためです。

 

 

本来は何の意味も無い性別を意識することで、

自己と他者を区別し、

自分がより優位な位置に立とうという意識が働きます。

 

この発想が、

「差別」や「いじめ」を生み出すのです。

 

よく「差別」と「区別」は違うと言われます。

合理性が無いのが「差別」であると私は思うのです。

 

具体例を挙げると、

多くのスポーツでは男女で競技を分けています。

これは、体力的に男女に明確な差があるからという「合理的な理由」があるため、

「区別」になります。

ちなみに、競艇では男女が同じレースを走ることはよくあります。

これは、競艇の特性上、男女の体力差が結果を左右する決定的なものではないためです。

 

これとは逆の例があります。

医学部受験時に問題になった例で、

男子学生にだけ得点に下駄を履かせて、

男子学生が合格しやすくするというものがありました。

これは、何の合理性も無い「差別」です。

 

では、「同性婚の禁止」は差別か区別かどちらでしょう?

 

明らかに差別であると私は思います。

同性婚を認める事で、何か社会的に不具合がありますか?

首相は、

「社会の在り方が変わってしまう」

という発言をされたそうですが、

人間の長い歴史の中で、

同性婚を認めたために滅亡した国家が1つでもあるのでしょうか?

この首相の発想は、

全く知性のかけらもない発想で、

単に特定のカルト教団に洗脳されているに過ぎないということが分かります。

 

 

近年、若者の言葉で「マウントを取る」という言葉があります。

相手より上の立場に立って、

相手を見下したり、支配する事を指します

 

差別する人というのは、

常にマウントを取りたい人です。

 

何故マウントを取りたい人が多いのか?

それは、自分より少数派の人たちを標的にすることで、

自分が標的にされないようにするためです。

 

なので、

差別の理由は何でもよく、

そのほとんどは合理性のないものです。

 

LGBTQの他にも、

○○県出身だからとか、

声が小さいからとか、

容姿端麗でないとか、

逆に容姿端麗だからとか、

理由なんかどうでも良くて、

単にマウントを取るためにいじめに過ぎないのです。

 

 

今日本の小中学校では、

壮絶ないじめがはびこっています。

恐らく昭和時代に小中学生だった親世代には想像を絶するレベルです。

そのレベルはおそらく世界最悪レベル。

何故なら、

日本の若者の死因第1位がここ数年ずっと自殺だから。

自分の未来が今よりもよくなると考えている若者が、

世界一少ないのが日本人であるという事もそれを証明しています。

 

なぜ日本の子供社会がこれほどのいじめ社会なのか?

それは、

大人社会がいじめ社会だから。

 

幸せな人はいじめをしません。

つまり、

日本人は大人も子供も世界一不幸なのです。

 

その不幸の原因は何か?

それは、

「自由から程遠い精神性の低さ」

にあると私は思います。

 

「自分を縛り、

 他人を縛り、

 人々がお互いに監視しあう」

 

その様相はまるで強制収容所そのものです。

コロナ禍でその事を実感した人も多いのではないでしょうか?

 

ではどうすれば自由になれるのか?

 

それは逆説的ですが、

この世でもっと不自由を経験する事。

 

 

束縛に苦しんで苦しんで、

もう心の底からうんざりだ、

こりごりだ

と思えるくらい苦労をする。

 

そうして反省し、

自由とは何かを魂のレベルで学んでいく。

 

そういう意味では、

精神性の低い日本に生まれた私たちが、

実は一番勉強熱心であるということが分かります。

 

もう来世では他人をいじめない。

そうなるように、

今世ではガッツリ苦労をしましょう。

 

大丈夫、

これから日本は益々苦難に満ちた時代に突入するので、

学ぶにはバッチリの環境になります。