逢田真生です。

 

 

 

与えることが大事だと、

よく書いてますが、

じゃあ、

『与える』ってなんなのよと、

いう話なわけです。

 

 

大半の与えるは、

相手のためではなく、

自分への報酬のために存在しているわけです。

 

 

たとえば、あなたが、

たいして好きでもない男性と、

デートをしたとしましょう。

いたれり尽くせりで気を遣ってもらい、

豪華な食事おごってもらい、

高価なプレゼントをいただいた後、

その男性に、

「部屋とってあるんだ」と言われたら、

どう感じるでしょう?

おそらく、「えっ?キモ。。。」と、

多くの方が感じると思うんです。笑

 

 

「ここまでしてやったんだから」とか、

恩着せがましいニュアンスを醸し出されたり、

ましてや、

ホテル行かないなら食事代出せとかプレゼント返せとか言われたら、

「ウザっ!器小っさ!」と感じると思うんです。笑

 

 

まあ、女性がどう感じるかはさておき(笑)

つまり、そういうことなわけです。

多くの『与える』は、

相手を思ってのためではなく、

自分への見返りのために存在しています。

相手のためではなく、

自分自身のために存在しているわけで、

それは、形としては与えているけども、

本当は、与えるとは違う、

別のなにかなわけです。

 

 

見返りを求めることが、

いけないというわけではありません。

報酬を求めるのは、

人である以上当たり前の気持ちの動きです。

 

 

でも、

あなたもおそらく、

経験があるはずです。

自分の都合などなにも考えず、

誰かのためになにかをしたとき、

見返りなんてなにもなくても、

気持ち良かったと思うのです。

 

 

本当に、『与えて』いるとき、

人は、気持ちいいものなのです。

誰にでも、

あなたにも、

そういう気持ちはあるはずです。

それを、大事にしましょうという話です。

 

 

なぜかというと、

見返り見越した『与える』は、

やればやるほど、

ケチになってしまうからです。

ケチになればなるほど、

本来の魅力が損なわれ、

関係がおかしくなるからです。

 

 

 

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