逢田真生です。
私たちは、それぞれ、
自己価値という概念を持っています。
これは、
自分が自分自身にどれだけ価値があると感じているか、
という概念ですが、
突き詰めれば、それは、
自分はどれだけ愛される価値があると感じているか、
という概念と言えます。
人間社会は、
人同士の繋がりで成り立っているわけで、
もし、人間が自分ひとりしかいなければ、
自己価値もクソもないわけで、
そんなこと考えもしないわけです。笑
自己価値が高かろうが低かろうが、
人は、愛を求めるものですが、
自己価値が低い人の愛の求め方は、
ときに、犠牲的になってしまうようです。
自己価値が低ければ低いほど、
相手のために頑張らなければ愛されないと、
思ってしまうからです。
愛されるために、
なんらかの犠牲を払ったり、
献身的に尽くしたりするわけです。
その行為自体は尊いものですが、
問題は、その行動動機が、
愛ではなく、怖れであるということです。
怖れが動機であるがゆえに、
自分はこれをしなければ愛されないという、
思い込みがあるわけです。
それは、
いくら相手のために行動をしたとしても、
心も体も疲れるばかりで、
安息や安心が許されるものではありません。
なにしろ、
がんばり続けなければ愛されないと、
自分で決めているのですから。
もし、この記事を読んでいるあなたが、
自分にも思い当たる部分があると感じたなら、
あなたが赤ちゃんだったころを、
想像してみてください。
あなたが母親であるならば、
ご自身のお子さんが赤ちゃんだったころを、
思い出してみてください。
赤ちゃんは、基本、
泣くことと、
飲み、食べることと、
排泄しかできません。
それも、
誰かの手を借りなければできません。
つまり、
足を引っ張る存在でしかないわけです。
にもかかわらず、
無条件で愛される存在なわけです。
あなたの存在が、
あなたの家族にとって、
どれだけの癒しであり、
どれだけの生き甲斐であったかを、
想像してみてください。
あなたにお子さんがいるなら、
あなたのお子さんが、
あなたにとって、
どれだけの癒しであり、
どれだけの生き甲斐であったかを、
思い出してみてください。
なにも特別なことをしなくても、
私は愛される存在。
それを思い出すことによってのみ、
あなたのなかの、
「やらなければ愛されない」という怖れは消え、
「やってあげたい」という、
愛をベースにした思いが生まれるのです。
そうすると、
同じことをしていたとしても、
やらなければならないという強迫観念ではなく、
与えてあげたいという暖かい想いが、
行動のベースとなるわけで、
それが、あなたの心に、
安息をもたらしてくれるのです。
セッション等のお申込み、ご質問等はこちらからお願いします
セッションメニューの詳細
無料メルマガのご登録はこちら↑
line@やってます
色々なイベント情報や、line@登録者様限定の割引、無料サービス等の情報をお届けします。
ID:@pda8469l