『不合格体験記 6』



「言い訳せずに実行せよ 正当化せず答えを探そう
 ありがとう こんな僕に付き合ってくれて」
Mr.Children 『旅人』より










代ゼミか、駿台か、河合か・・・
浪人を決意した俺は、3大予備校の中からどこに行くかを選択しておりました。
届いたパンフを連日眺めて、
「どこもぼったくりみたいに高いのなー・・・」
とか思いつつ。



俺は「特待制度」とはまるっきり縁が無かったので、
どうせどこにしたって金額はさして変わらねえや、と腹をくくって、コースのみに着目。
他の仲間の行き先とも相談しながら、考えること数日。




駿台に1年間ご厄介になることにしました。
決めた理由は、志望大ごとのコースが充実してて、クラス制度があったこと。
俺と同じ志望の仲間が、大体駿台を選んでたこと。
入会金がここだけ無料だったこと。
あとは・・・雰囲気(笑)。
上手く説明出来ませんが、他の2校と比べて、
駿台の醸し出すあのいかにも「お堅そ~~な」空気が、浪人にはしっくりくるかなと思ったんです。




あ、別に俺は駿台の回し者じゃないんで悪しからず(汗笑)。
モチベーションさえ保てれば、極端な話どこ選んだっていいと思います。




ところで、予備校は全国各地に校舎があるので、地元の校舎に通うのもアリです。
でも俺の場合、駿台の本校のある御茶ノ水に通うことにしました。
人気講師は本校に出向することが多いし、
それに自宅から近距離だと、何か俺自身が後半ダレてしまいそうだったので・・・。










さて。



俺が選択したのは、駿台の「東大文系S(スーパー)コース」っつうクラスでした。
で、入学(でいいのか?)してすぐに、クラス分けテストがあります。
どのコースにも上・中・下みたいな感じのクラスがあって、
東大文SにはLA・LB・LCっつうクラスがある。
そんで、クラス分けテストの成績でもって、各々振り分けられるっつう仕組みです。




ちょうどその頃、
ウチの高校の100名超の浪人生は、それぞれ3大予備校の各校舎に入学していて、
駿台には、大体20人くらいの顔見知りがいました。
で、そん中で俺と同じ東大文Sに入学したのが、5、6人くらい。



やっぱりとでも言うべきか(恥ずかしい・・・)、

俺だけLB、他の仲間は皆LA組となりました・・・il||li_| ̄|○il||li





さあ、こっから激動の1年の始まりでございます。













2003年、4月


テキスト受け取り日、当日。
「大き目のカバン、あるいは袋を持参してください」
っつう連絡があり、ドラムバッグ(恥ずかしい・・)を持って出かける「元」子天狗。




この日はクラス分けが決定して、それに伴ってのクラスのメンバー同士の初顔合わせの日。
で、ガイダンスがあって、クラス毎のテキストを受け取る、みたいな流れでした。
(ここで俺は、孤独なLB落ちを知るわけです、汗)




とにかく渡されるテキストの量がハンパない!





20冊近くのテキスト(しかも分厚いの有り)、並行して使う参考書、その他諸々。
・・・それだけではない。
「強制じゃないですが、この参考書と併用して学習するのをお勧めしますよ~」と、
一種の抱き合わせ商法バリに、必携ではない複数の参考書の購入を推奨してきます。
いくら強制じゃないっつったって、100人近い浪人生がゾロゾロ並び出したら、
何となく「俺も買わなきゃいけない」的な空気になるじゃないすか ; ̄▽ ̄)ネェ??










・・・で。




帰りには「ドラムバッグさんのキャパ残り僅か」という状態でございました。
激太りしたバッグを引きずり引きずり、LA組の皆と合流。




「俺だけやっぱLBかー、嗚呼・・・」




俺だけ現役全滅、俺だけLB落ちと、
自業自得のことながら、その日の俺は未曾有の「俺だけ病」を患っておりました。
そんな時、LA組の一人の女友達が言ってくれた言葉があります。




「あんたはいつでも自信過剰じゃなくちゃ(笑)」





これだけは今でも覚えてるんです。
マジで、何か救われた気分でした(泣泣)。










この時の6人の会話で言ってた事なんですが、
浪人生って、「不退転のやる気」と「負け組の卑屈」、両方の意味で妙な仲間意識が芽生えます。
確かに、心の中では「敵・味方」感情が無いとは言えないと思います。
例えば、翌年の受験で友達と同点になって、どちらかが合格できるっつう状況になったら、
相手がどんな親友だったとしても「自分が・・」と考えるでしょう。




けど、そういうのをひっくるめて、尚お互いを励まし合える仲間に、何かホッとしました。
人格的に何かと「難あり」な俺でしたが、
中学・高校・浪人・大学と、その度にそれぞれの仲間によって救われた気がします。
こんな場で勝手に感動してアレですけども、
この1年は、本当にこの「戦友」たちに助けられることになるのでした。












2003年度、前期


駿台のクラスっつうのは、ちょっと「変わって」ます。
あの、フツーの高校のクラスとほぼ環境が同じなんですよね。



各授業が50分で、ちゃんと「○限」とかあります。
クラス毎に担任がいて、時にはホームルームみたいなもんもあります。
前期・後期ごとに座席列がいつも固定されてるんで、
最低でも前後・左右・斜めの周囲8人とは顔見知りになれます。


どうです?
何か、「っぽい」でしょ(笑)??











さて。
そうこうする間に、駿台での年間カリキュラム(俺版)も決定しました。



・東大文Sコースでの毎週の授業
・早慶対策用に組み込んだフレックス講座
・現役センターで特にドン底だった生物を中心に、補強目的で取ったサテネット講座



これらをメインに据えて、俺の一週間は始まります。
地元から電車を2本乗り継いで、約1時間かけて御茶ノ水へ通う毎日。
(朝の総武線はハンパない混み様でした、汗汗汗)










午前中講義を受けて、
昼休みになったらLBの連中かLAの高校仲間らとメシを食いに外に出て、
で、午後の講義に出て、
講義が終わったら夕方のフレックス講座に出て、
フレックスのない日は、そのまま自習室へ直行。
で、集中力が切れたら仲間と最上階のテラスでダラけて、また自習室へ。




さっき言った6人の高校仲間とは、夕方以降はほぼ毎日一緒にいた気がします。
みんな死ぬ気で勉強するかわりに、
月に一回は「ご褒美」がてら、カラ館に熱唱しに行ったりもしましたよ♪




全員がONとOFFの境界をしっかり作り、
ONの時はしっかり勉強して、OFFの時はガッツリとダラける。
お互い励まし合いつつ、けど一年後には「敵・味方」になるかもしれん、そんな妙な間柄。




この関係が、俺にはホントにいい刺激になった気がします。
4月いっぱいをかけて確立した自分の勉強スタイルも功を奏し、
最初は1時間だった自習時間も、2→3→4→5→6と増やしてくことが出来ました。











さて、このシリーズは『回顧録』がメインなので、
実際どんな勉強スタイルを取ったのか、とか、どんな講座・参考書を利用したのか、とか、
あるいは、模試の成績はどうだったのか、などなど、
そういった内容は、シリーズ完結後の『番外編』で述べさせていただくことにして。
予備校生活「前期」の成果を、ズバリお見せすることにします。




イメージ 1




じゃん!
・・・つっても、何だか分かりませんな(笑)。
ええと、これは「温度計付きペンスタンド時計」です。
・・・いや、そうじゃなくて(笑)。





時計の下部に、何やらゴニョゴニョ書いてあるのが見えますでしょうか??
書いてある内容はですな・・・


2003年度 前期成績優秀者 駿台予備学校


です!
校内テスト&各模試で、在籍コースごとの上位10数名が選出される賞をいただけました!
上のやつは、証書と共に貰った副賞(にしてはショボいが、笑)です♪





浪人中に貰う賞なんざ、合格通知以外まるで価値ないやんけ・・・
と言われればそれまでですが、
高校から数えればおよそ3年半、「優秀者」なんつう言葉とまるで縁がなかった俺です。
前期にやり通した勉強スタイルは間違ってなかったんだ、と自信をつけることができた。












授賞式では、思い出深いことがまだまだあります。
一番大きいのは、数学者の秋山仁先生の講演を聞けたこと。
だいぶ老けちまってたけど、
あのボッサボサのロン毛に、意味不明なカラーのジャケットという出で立ちで(笑)、
30分くらい、爆笑ネタを挟みつつ語りまくってくれました。




印象的だったのが、「受験」ではなく「勉強」の話をしてたこと。
うまく伝えらんないですが、ホントに「でかい」方でした。











授賞式での結果が考慮されて、晴れて俺はLA組へ昇格。
J2からJ1に上がった気分で、喜びもひとしおです(嬉)。




さて、こっからが本番勝負、
現役生もいよいよ闘志剥き出しで向かってくる「後期」が幕を開けるのでした♪




『不合格体験記 7』へ続くのだ。