『不合格体験記 5』



「おまえは、一年くらい本気で苦しんだほうがいいかもしれない」
高校時代の、とある恩師の言葉









2003年、2月。
センターの結果で「テメエの未熟さ」を思い知らされ、
心のどこかでは「何とかなんでしょ」と信じ込んでいた俺は、いよいよ瀬戸際に立たされました。




窮地に立たされた俺の頭に浮かんできたのは、かつての悪いクセです。
そうです、「いかにも魔法のような」方法に救済を求めるようになったのです。




予備校が打ち出す「昨年も一昨年も的中!!」の文字に釣られ、
「東大対策」「慶應対策」「早稲田対策」と冠されたありとあらゆる講座を申し込み始めました。
センター前の段階から、保険としていくつか申し込んでいて、
センター敗戦後は、まだ締め切ってない講座の申し込みを、前にも増して乱発しました。





代ゼミ・河合・駿台、3大予備校の直前講座は10コマ近くぶち込む始末・・・。





これは、非常に危険な、かつ最悪の勉強スタイルです。
大事な直前期を予備校の講座で埋め尽くすくらいならば、
過去問を解いたり、今一度復習をしたりする時間に充てた方がずっといい。





予備校の直前講座を否定してるんじゃありません。
現に、この数ヵ月後、俺は予備校生になるわけですし。
それに、正しい勉強法を取っていれば、
直前講座は、復習&実践を兼ね備えたとても効率のいい時間だと思います。





ただし、しつこいようですが、俺には基礎も経験値もなかった。
「的中!」の文字に釣られて受講しただけです。
事前にテキストも読まず、当然ながら予習も復習もせず、
ただ座席に座ってるだけで、合格の可能性がグーンとアップするみたいに思ってた。






よって、直前講座は結局活かせず、
その間は「都心に赴いて講座に出て、家帰って何もせず寝る」っつう的外れな生活スタイルが続き、
センター後の最後の追い込みも、何となく漫然と消化してしまった。












2002年度、入試本番


遂に本戦も本戦、試験が始まりました。
順番で言うと、
中央大→慶応義塾大→早稲田大(一文)→早稲田大(法)→東大
だったように思います。




気分ばかりは一丁前だった俺は、
入試前の入念なチェックではなく、宿泊予約とかにばかり躍起になりました。
自宅から向かえる距離にあるくせに、
各大学の入試前日に友達と同じビジネスホテルを予約しまくったり、
後期のことを考えて、
仙台へのアクセスやら宿泊予約を検索したり、などなど。














さて、入試の感想。




どの大学も問題が、全く分からなかった・・・。




「簡単に済ますな、ボケェ!」と言われそうですが、
これが一番シンプル、かつ的確な感想でした。




完全な実力の無さ、当日の現役生・浪人生が醸し出す独特の雰囲気、そして俺自身の「あきらめ」。
こういう負の要素が遂に爆発。
白紙でこそないが、自信がある科目が一つもない、
「本当に」そういう、ある意味最悪な手応えでした。




こんな状態だったけど、
各試験場では、ありがちな「全然分かんね~」系の会話がそこかしこで聞こえ、
愚かにも、「もしや?」と未だに奇跡を期待する俺がいました。




そして・・・















02’ 受験結果

<国公立>
(前期)東京大・文科Ⅰ類   ×
(後期)東北大・法      ×

<私立>
慶應義塾大・法・法律 ×
早稲田大・法     ×
早稲田大・一文    ×
中央大・法・法律   ×




各テストも、高校受験も、英検とかも「何となく」パスし続け、
不合格を経験したことの無いままエゴばかりが育ち、
地道な勉強を嫌って遊び呆け、「何となく」高校生活を過ごし、
それでも「まあ、何とかなるだろ」と「何となく」思い、




「身の程を知れ」っつう周囲の忠告を最後まではねつけ、
かつての栄光と、難関大のブランドに取り憑かれた大バカ者は、




全滅・・・




という結果で、あっけなく蹴落とされました。














「×」印が一つずつ増えてくうちに、彼の神経はやや麻痺してしまったのでしょう。
自分の引き取り手が決まってないにも関わらず、
卒業式では、仲間と一緒にフツーにボロ泣きしました。




あれだけ嫌がっていたにも関わらず、
後期終了後は、中学友やクラスメイトに「全滅」を自虐ネタとして披露しまくるようになりました。
周りが複雑な笑みを浮かべていても、「俺全滅したわー!」と一人で爆笑してたのを覚えています。




でもって、「全滅した」のはクラスで俺一人という状況の中、卒業旅行にも勇んで参加。
クラスメイトの中で、浪人を決めた仲間は半数近くいました。
でも、俺以外はみんな「どっかは受かってた」奴ら。
第一志望に再挑戦したいから、仕方なく浪人する奴らばっかです。




夜中の会話では、こんな話も出ました。
「どこのスカラシップにするかなー・・・」
スカラシップとは、予備校における特待制度のことです。




特待制度の存否は種類は予備校によって様々ですが、
大体が「授業料○○%免除」です。
場合によっては「全額免除」なんてケースもあります。




各予備校が主催する模試で、高偏差値を出し続けると、
国立大の前期合格発表あたりの頃に、
「もし合格されたのなら、失礼なお知らせになってしまって申し訳ありません・・・」
という文章と共に、各予備校からスカラシップの招待通知がドサッと届きます。




ウチの高校はさすがに進学校なだけあって、
ほとんどのクラスメイトに「招待通知」が代ゼミなどから来ていました。




俺には、一通も来ませんでした・・・。
在学中、偏差50台をウロウロしてたような成績だったから、当然ですね。
でも、「全滅」を自虐ネタにしてた俺も、さすがに何かこれ以上惨めになるのは嫌だった。
「一応、代ゼミからは来たわ」
空しい嘘をつきました。




「何やってんだろう、俺」
「これからどうなるんだろう、俺」




そんなことを考えつつ、カラ元気を出しまくった卒業旅行は終了しました。















現役入試の、その後


3月も終わりが近づいたころ・・・
「何やってんだろう、俺」はともかくとして、
「これからどうなるんだろう、俺」については早急に結論を出さないといけない。




春休み中でしたが、元担任のK先生に相談する為に、高校に出向くことにしました。
あんだけ忠告したのにそれを無視して、
挙句の果てに「これからどうしたらいいんでしょう」と、のこのこ相談しに来た元教え子。
さぞや「はぁ?」と思ったことでしょうが、K先生は親身に何時間も話し合ってくれました。





「ここでの3年間と同じような気構えで1年潰すつもりなら、浪人しても無駄だ。絶対にやめろ。」
確かこういう言葉から始まって、こっぴどく叱られました。
3年間っつう貴重な時間を食いつぶして、
周囲の反対を押し切って目的もなく難関大を受験をして、
何十万っつう大金を親に使わせといて、
そんで「どうしたらいいですかねー・・」と笑みを浮かべながら相談しに来た俺に、K先生はキレた。




「空しいとかではなく、悔しいとかいう気持ちはないのか?」
とも言われました。
・・・閉口する俺。














「やってさえいれば、きっと受かった」
こんな図々しい言い訳はするつもりもありません。
当時の状況は、全部「自分がやった」事の結果ですから。
それに、勉強しまくったところで同じ結果だったのかもしれないですし。




けど、「もうこれ以上は逆立ちしたって何も出ねえ」くらい勉強したら、自分はどこまで伸びたんだろうか?
そんだけやったなら、たとえどんな結果が出ても、潔く認められたんじゃないか?
そして、自分は今までそれくらいの事をしたことが一度だってあったか?




いつから楽な方へ逃げるようになった?
今まで俺はそうやって、どんだけいろんなもんを食いつぶしてきたんだろうか?




そう思うと、
明確には説明できないけど、
何か今までとは違う「どうしても納得できねえ」気持ちのようなものが、少し湧いたんです。
気づくのにエライ時間がかかっちまったけど・・・。















何時間後の話し合いの末に、俺は浪人を決意しました。



浪人は、どうしたって時間と金を消費します。
親に相談して、了解を得ました。



「1年だけだ。それで無理なら諦めて自立しろ。」




ちっさい頃から見知ってきた両親なりの叱咤激励を受け、
俺の受験第二章、浪人生活は幕を開けました。




『不合格体験記 6』へ続くのだ。