⚫︎困った行動の奥にあるコミュニケーションの『遅れ』ではなく『違い』
《コミュニケーション》
と聞くと、
言葉を使った会話を一般的には
思い浮かべます
あとひとつ、
コミュニケーションには
表情、しぐさ、身ぶり手ぶりのジェスチャー、
指さしなどの非言語を使ったもの
《非言語的コミュニケーション》
がありますね
そもそも
コミュニケーションってなんでしょう
自分の意思とか気持ちとか要求などを
《言語》や《非言語》を使って
人に伝え
相手の意思とか気持ちとか要求などを
《言語》や《非言語》を通して
理解すること
つまりは
自分と人とが影響を与え合える《手段》
自閉症スペクトラムや、
脳の認知や感覚に偏った機能の部分がある人にとって
周りの人との関わり合いが
じょうずにできないことが
特性としてあります
例えば
乳幼児期なら
お母さんとの愛着を示しにくい
呼びかけられても反応しにくい
目を合わせようとしない
児童期や学童期以降なら
まわりに合わない言動をしがち
共感的なやりとりが苦手
自分や人のすることがどんな結果につながるのかの見通しが立ちにくい
そんな特徴を持っている
子どもたちにとって
《コミュニケーション》そのもののが
苦手なことの困り感は相当強いものです
知らない外国語の飛び交う生活圏に
いきなりひとりぼっちにされたときを
イメージすると
わたし自身は理解しやすかったです
周りの人に
自分の意思とか気持ちとか要求などが
伝えられない
周りの人の意思とか気持ちとか要求などが
理解できない
誰にとっても
この《コミュニケーション》そのもののが
うまくいかないことの
困り感はありますが、
特に生まれ持った脳の機能の『違い』がある
自閉症スペクトラムの子どもたちにとって
並大抵のものではない苦悩とかフラストレーションがあることが想像できます
コミュニケーションの方法を
知らないことで
周囲の人の中に入っていくよりも一人でいる方が安心する子どももいるのかもしれないなぁと
想像もできます
そして
意思とか気持ちとか要求などを
かんしゃくやパニックという手段で
つたえる子どももいるでしょう
人の手を引いて欲しいものの要求を示したり、身ぶりでつたえる子どももいるでしょう
欲しいもの、したいことを実現するための『物』を使ってつたえる子どももいるでしょう
『ことば』を使ってつたえる子どももいるでしょう
子どもたちにとって
《コミュニケーション》そのもののが
どのようなものなんだろう
《コミュニケーション》をどんなふうに
使っているんだろう
《コミュニケーション》の手段はなんだろう
そんなことを
ちょっぴりのぞいてみるのも
『子どもの姿』を知る方法として
いいかもしれないですね
《伝えたいこと》を
《伝えたい人》に
《どのように》つたえるのか
そして
《伝えたいこと》を
《伝えること》で
人はどんな反応をするのか
という
自分と人とが影響を与えあう
《コミュニケーション》
そのものが
この子にとっては
どのくらいの位置づけなんだろうって
まずは
知ってみるのも
『子どもの姿』の理解には
おすすめです
そして
そもそも
《コミュニケーション》しようとしているのか?
この人に《伝えたい!》《理解してもらいたい!》って気持ちが育っているのか?
そんなところに目を向けてみることも
大切なことなんだろうって思っています
《コミュニケーション》の『違い』からみられる
困り感と、
その困り感からみられる
子どもたちのあらわすひとつひとつの行動の意味
かんしゃくやパニック
ものを投げること
暴言や暴れること
人へのかかわり方の加減が難しいこと
などの
大人からみると一見困った行動に思えることは
実は奥深くには
コミュニケーションの『違い』への理解
にかかわるときもあるから
子どもたちにとっては
『理解してくれようとしている』という
周りの人とのやりとりは
大きな大きな
『発達を促す』原動力
となりますから
子どもを知って、子どもの発達を促したい!
自信を持って子どもと向き合っていきたい!
そんなお母さんの
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