俳諧伝授 -65ページ目

女郎花

餓てだに痩んとすらむ女郎花  太祗


|うえてだに○○|やせんとすらむ|おみなえし○○|


季節は「女郎花」で秋。


炭 太祗(たん・たいぎ)(1709~1771)の俳諧の発句です。


「餓てだに痩んとすらむ」を口語訳しておきます。


「餓えてさえ痩せようとするのだろうか」です。


「らむ」(推量)は、文脈から疑問の意味をおびます。


「女郎花」の本意は、


“をみなえしは、いづれの歌もみな女に比してよめり”有賀長伯『初学和歌式』


ですから、


「餓えてさえ痩せようとするのだろうか」 「女性」


となります。


切れは、中七と下五の間にあります。


太祗の眼前にあるのは、おそらく現実の「女郎花」、その風情に「餓えてさえ痩せようとするのだろうか」が自然に重なったのでしょう。


ひらめき、とでも云えばよいのでしょうか、実際に対象を目にして句を詠むときには、その対象の持つ風情とか情感が自然にコトバになって出てくるものなのです。


まあ、これも訓練のたまものなのかもしれません。


対象に何かを感じていても、最初はなかなかそれをコトバにできないものです。


「餓てだに痩んとすらむ」は、明らかに女性についての言明です。


この句を最初に読んだとき、たいへん意外でした。


江戸期の女性も、ダイエットにご執心だったのでしょうか。


もちろん「ダイエット」なんてコトバはありませんでしたが‥。


「餓てだに痩んとすらむ」何か鬼気迫るものがありますよね。


強迫観念とでも云いますか‥。


太祗は京都島原の遊郭に庵を構えていましたので、いわば女性に囲まれて暮らしていたようなものです。


それに、太祗は旅行家でもあったようで、けっこう日本各地を訪れていました。


そんな太祗の言明ですから、これ、当時の女性に一般的なことだったのでしょうね。


あ、でもそれは、悪い意味じゃないですよ。


女郎花の、あのすらりと長く可憐な風貌を前に、ちょっと困ったような、はにかんだような顔でたたずむ、太祗が目に浮かびます。


女というものは、ひもじい思いをしてまで痩せようとするのかねぇ、とかね。


このあたりの機微は、判る人には判ると思います。


この句、女郎花という対象の存在者の存在を、実に鋭く捉えているのです。


難しいですか?


実際に女郎花をご覧になりながらこの句を味わうと、きっとお判りになると思うんですけどねぇ。


微妙な感覚なんだけど‥。


それはそうと、野生の女郎花って見たことありますか?


私は、いまだに野山に自生している女郎花を見たことがありません。


私の行動範囲内では、女郎花は絶滅状態です。


もちろん、人の手で栽培されているものは見たことがありますけど‥。


ほかの秋の七草は、この秋に咲いているのを確認しました。


でもねぇ、野生の女郎花にだけは、


どうしても出会えないのでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜