俳諧伝授 -58ページ目

蔕おちの

蔕おちの柿のおときく深山哉  素堂


|ほぞおちの○○|かきのおときく|みやまかな○○|


季節は「柿」で秋。


山口素堂(やまぐち・そどう)(1642~1716)の俳諧の発句です。


(「蔕」は、携帯では表示されないかもしれません)


「蔕おち」は、


ほぞ‐おち【臍落ち・蔕落ち】
③果実がよく熟して自然に蔕ほぞから落ちること。また、その果実。ほぞぬけ。日葡辞書「ホゾヲチノウリ」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


で、


「蔕」は、ヘタです。


へた【蔕】
果実に残っている萼がく。なす・柿などに見られる。宿存萼。軸。〈日葡〉
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


「蔕おちの柿」は、要するに熟し切った柿がヘタをつけたまま落ちることです。


カラスや猿に喰われることもなく‥。


花が散ったり、実が落ちたり、それは自然にそうなるとは云え、私にはその個体の意志によるものと思えてなりません。


「花が散る」は「花を散らす」であり、「実が落ちる」は「実を落とす」と云ったほうがより正確なのではないでしょうか。


生命の根本性格を「力への意志」というコトバで云い当てようとしたのは、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche 1844~1900)でしたね。


柿が実を落とすのも、より強くより大きくなろうという意志の現れでしょう。


木はさらに生長し、実は朽ちて種から新しい芽を出します。


この絶えざる変化に無常を見たのが、日本人です。


無常観は、仏教思想によるものだと云いますが、受容する側に同種のなにかがなければ、思想や異文化は根付かないのではないでしょうか。


もともと感じられていたものに「無常観」という名が付けられた、ようにも思えます。


コトバが先か対象が先か、これは永遠に解かれることのない問いでしょうね。


ともあれ、素堂が「蔕おちの柿」に無常を見たのは疑いのないところでしょう。


で、それは「音」であったのですね。


熟した柿が木から落ちて、なかば潰れる音‥。


「深山」の静けさの中で、その音だけが際立ったことでしょう。


それは、文字どおり諸行無常の響き、だったかもしれません。


あたりの地面は、「蔕おちの柿」で真っ赤に染まっていたことでしょう。


ん?赤?


赤と云えば唐辛子じゃん!



愚直なる色を今年も唐辛子  ousia


|ぐちょくなる○○|いろをことしも|とうがらし○○|


スゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜