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秋の夜半

俳諧・俳句に、「小鳥(ことり)」という秋の季語があります。


小鳥
秋になって、いろいろの小鳥が渡ってきたり、山地から低地へ移ってくるのを、総称して言ったもの。春は囀りを言い、秋は渡りについて言うことが多い。「小鳥来る」・「小鳥渡る」
〔山本健吉『最新俳句歳時記』(文藝春秋刊)〕


「小鳥」だけでも秋の句になるのですが、傍題の「小鳥来る」が使われることのほうが多いようです。


また、小鳥の鳴き声よりもその色彩の美しさに注目した「色鳥(いろどり)」という季語もあります。


そういう時期になりました。


あちこちの木の枝や電線で、見知らぬ小さな鳥が鳴いていたりします。


渡りの途中、あるいは山から里へ下りてきたのでしょうね。


それだけでもう、秋も深まりつつあるのだなぁとあらためて思ったりします。


蕪村の発句をご紹介しましょう。


小鳥来る音うれしさよ板庇  蕪村


|ことりくる○○|おとうれしさよ|いたびさし○○|


『枕草子』に「時雨(しぐれ)、霰(あられ)は板屋(いたや)」とあるとおり、板葺きの屋根を打つ時雨や霰の音に「あはれ」や「をかし」を感じ取って来たのが王朝和歌以来の正統かつ雅な文芸上の美的感覚でした。


蕪村句の「板庇」は、もちろんこの板屋の庇のことです。


「時雨・霰」ならぬ「小鳥」を取り合わせたところに、この句の俳諧があります。


「小鳥来る音」と云ってはいますが、それが「板庇」に重ねられると鳴き声ばかりではなく小鳥の小さな足の爪が立てるかすかな足音さえ聞こえてきますよね。


さらにそれは「うれしさよ」によって確かな表情が付与されます。


「古人は、板屋を打つ時雨や霰の音にあはれやをかしを感じたようだが、私は、板庇にやって来た小鳥の音にうれしさを感じてしまうのだよ」蕪村はそう云っているようです。


この、のびやかで無邪気な感受性こそ、俳諧の俳諧たるゆえんです。


「色鳥」からも一句ご紹介しましょう。


色鳥や喰こぼす物皆赤し  白芝


|いろどりや○○|くいこぼすもの|みなあかし○○|


「喰こぼす物」は、明らかに木の実のことですよね。


情景が目に見えるようですね。


イチイとかクロガネモチとか、赤い木の実を付ける木はこの時期たくさんあります。


ちかごろ流行りのハナミズキもそうですよね。


「赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」なんて童謡、思い出しませんか?


この句は俳諧の発句ですから、時代的にずっと先行してはいますが通い合うものがありますよね。


「小鳥」や「色鳥」は総称なのですが、個別の鳥の名をあげてみましょうか。


いずれも秋の季語です。


鵙(もず)、懸巣(かけす)、鵯(ひよどり)、椋鳥(むくどり)、鶸(ひわ)、仙入(せんにゅう)、頭高(かしらだか)、猿子鳥(ましこ)、花鶏(あとり)、柄長(えなが)、鶺鴒(せきれい)、啄木鳥(きつつき)、鶉(うずら)などなど。


いくつ知っていますか?


私は、鵙、鵯、椋鳥、鶺鴒、啄木鳥くらいでしょうか、一目で見分けられるのは。


鳥類学者になるつもりはないのですが、俳句をやっていると目にする鳥の名をつい知りたくなってしまいます。


でも、鳥は植物と違って、いつまでもそこに居てくれませんので、見分けられる鳥はなかなか増えません。


まあ、長い時間が必要でしょう、それこそ寿命が尽きるのが早いか、鳥を識別できるようになるのが早いか、というような‥。


ん?長い?


長いと云えば、だんだん夜が長くなってきましたねぇ。(←この話の急展開は怪しい)


「秋の夜長」を感じ始めるころです。


長い夜には、自分で豆から挽いたコーヒーなんかじっくりと味わいたいですよね。


(^^ゞ


珈琲に作法ありけり秋の夜半  ousia


|こーひーに○○|さほうありけり|あきのよわ○○|


スゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜