扇かりけり
淋しさに扇かりけり早泊り 素檗
|さびしさに○○|おうぎかりけり|はやどまり○○|
季節は「扇」で夏。
藤森素檗(ふじもり・そばく)(1758~1821)の俳諧の発句です。
「早泊り」は、旅宿に早めに到着することです。
旅好きの方は、この句の「淋しさ」がよく解るのではないでしょうか。
思いのほか早くその日の宿に着いてしまって、どこかへ見物に出るほどの時間はなく、かといって夕食には早すぎる、そういうときの独りで宿の部屋に居る手持ちぶさたを淋しいと感じることは、現代でもあろうかと思います。
この感情は、時代を超えて普遍的なものなのでしょうかねぇ‥。
そう思いませんか?
旅先の見知らぬ土地、見知らぬ部屋、見知らぬ調度品。
さしあたって、何もすることがない時間。
こういうの、平気な人は、ぜんぜん気にならないのでしょうけどね。
私は、何かしてないとダメですね。
まあ、いまはテレビとかありますから‥。
素檗は、宿の人に云って「扇」を借りたのですね。
ただそれだけの句なんですけどね、これ。
でも、そこには確かに、ある時点ある地点における素檗の知覚・経験の視点が、見事に描かれています。
手に取るように、素檗の心の動きが見えてきませんか?
注意点は「扇かりけり」の「けり」。
これは過去回想の助動詞です。
もっと詳しく云えば、ある事実を基に過去を回想しているのですね。
この句の場合だと、いま現在扇は素檗の手元にあって涼を得るためにあおいでいる、これが事実だろうと思います。
それを基に、借りた過去を回想しているのですね。
「早泊り」の「淋しさに」「扇」を借りたのだなぁ、と思いつつ、淋しさを紛らわすべく、扇を使っているのですね。
まあ、過去と云っても、ついさきほど、なんでしょうけれど‥。
実は、ここにこの句の俳諧があるのです。
「かりけり」は、ちょっと大袈裟な云い方なんですね。
ですから「淋しさに扇かりけり早泊り」は「扇かりたり」でも良さそうに一見見えますよね。
でも、これがダメなんです。
|さびしさに○○|おうぎかりけり|はやどまり○○|
|さびしさに○○|おうぎかりたり|はやどまり○○|
響き的に、どちらがより淋しい感じがしますか?
違いは一音、「け」と「た」、「ke」と「ta」です。
意味を云えば「かりたり」の「たり」は、借りるという事態があって、その結果が現在もあることを示します。
「たり」は「て-あり」なんですね。
これでは、借りた、という事態ばかりが表立ってしまいます。
やはり、意味の上からも「けり」(過去回想)でなければ、この句の淋しさは出てきませんよね。
音韻上でも「ta」の母音「a」は、この場合適切とは云えません。
ここに「a」を響かせるのは、詩的に無神経でしょう。
さて、俳諧の所在です。
「けり」は、大袈裟な云い方なんだけれども‥。
この「大袈裟な云い方なんだけれども‥」というのが、この句の俳諧です。
と、私は、思います。
ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜