人垣を
「昨年掲載した夏の発句」いかがでしたでしょうか。
俳諧は、守武・宗鑑の初期俳諧を経て、貞門、談林、蕉風と変化しました。
ていもん‐ふう【貞門風】
貞徳を祖とする俳風。俳言(俗語・漢語)を用い、言語上のあそびを主とする。貞徳風。古風。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
だんりん‐ふう【談林風・檀林風】
江戸前期、延宝・天和(1673~1684)頃に流行した俳諧の一風・一派。もとは江戸の田代松意の一派の結社を指すが、のち大坂の西山宗因を中心とする新風の汎称となる。伝統的・法式的な貞徳流に反抗して、軽妙な口語使用と滑稽な着想によって流行したが、蕉風(しようふう)の興るに及んで衰えた。宗因風。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
発句のうえにも、その変化は鮮明に現れていましたよね。
烏には似ぬうの花ぞ鷺の色 貞徳
順礼の棒ばかり行く夏野かな 重頼
この違い‥。
貞徳の句は「鵜の真似をする烏」という諺を下敷きにしたコトバ遊びです。
卯の花の「う」に鳥の「鵜」を掛けて「“鵜の真似をする烏”というけれど、同じ“う”でも“うの花”は、烏にはちっとも似てなくて鷺のように真っ白である」と、云っているにすぎない。
他方、重頼の句は、草や木の青々と生い茂った夏野を、巡礼の一群が見え隠れしながら通り過ぎようとしている。
コトバ遊びはすっかり影を潜め、重頼のある時点ある地点における知覚・経験の視点が、見事に描き出されています。
笑いの質も違いますね。
貞徳の句が「面白いこと云うなぁ」なら、重頼の句は「面白い捉え方だなぁ」です。
志向も、貞徳の句は自己の知識や思考へ、重頼の句は事象そのものへ、です。
向いている方向が、正反対です。
人間の知識や思考なんて有限だし、高が知れています。
一方、事象は、文字通り千変万化、ひとときも停滞することがありません。
有限は、あたりまえですが、いつかは限界に達するでしょう。
知識や思考を頼りの作句は、いずれ限界に突き当たります。
そう考えると、蕉風への変化は必然であったと云いたくなります。
さて、現代俳句は、いったいどちらに属しているんでしょうねぇ。
人垣を問はば牡丹と答へたり ousia
|ひとがきを○○|とわばぼたんと|こたえたり○○|
ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜