船溜り | 俳諧伝授

船溜り

そういえば「花」の本意、まだ説明してなかったですね。



“花をよむ心持は、まつに心をつくし、咲きそめてはうつろはん事をなげき、命にかへてちる名残をしたひ、すべて春は花ゆへ心うかるゝよしをいひ、あるはしらぬ山路を分けて花をたづね、白雲かゝる髙根をみては花かとたどり、そことなく匂ひくる風に心をうかれ、尋えては木下に家路をわすれて旅ねをし、主しらぬかきねも花あれば尋入、日比うとき人もとひ、とはるゝ心など相応也”
〔 有賀長伯『初学和歌式』〕


ざっと訳しておきます。


花を詠むときの気持ちは、待つことに心を尽くし、咲き始めてからはやがて盛りが過ぎるだろうことを嘆き、命に換えて散る名残を慕い、すべて春は花ゆえに心浮かれる理由を云い、行ったことのない山の小道に分け入って花を訪ね、白雲のかかる高い峰を見ては花かと思って辿り、どこからともなく匂ってくる風に心を浮き浮きさせ、訪ねることができたなら木の下に家に帰ることも忘れて旅寝をし、主を知らない垣根も花があれば訪問し、日頃疎遠にしている人も訪ね、訪ねられる。


要するに「まつに心をつくし、咲きそめてはうつろはん事をなげき、命にかへてちる名残をしたひ」ですね。


あとは、ほぼ個々具体的な事例のようです。


花を「待つ」のに心を尽くす、これは解りやすいですよね。


咲き始めたなら、この花もすぐに盛りが過ぎるだろうことを思ってなげく‥‥じゃあ何時楽しむのでしょうね?‥って、これが美意識というものですから。


「命にかへてちる名残をしたひ」花が散る=花の死ということでしょうか。


咲くことこそ花の命、が、その命に換えても散る、という花の名残(終わり)を慕う‥。


終焉の美学、でしょうか、抽象的ですね、こういうのは。


人生は無常である、ということの喩えでしょうか。


ただ、落花-つまり命に換えて散る花に美を見ていたことは、確かでしょうね。


これが根本にあるから「咲きそめてはうつろはん事をなげき」が美しく「まつに心をつくし」もまた美しいのでしょうね。


暗いですか?


そうでもないんですよ、だって長伯さん「すべて春は花ゆへ心うかるゝ」ってさりげなく云ってますものね。


で、ここでもって、私の花の俳句をご披露する、ってことになると、これ、付きすぎになって面白くないんですね。


ですから‥



長閑さや荷揚げ終へたる船溜り  ousia


|のどかさや○○|にあげおえたる|ふなだまり○○|


ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜