こてふかな | 俳諧伝授

こてふかな

我影に追ひつきかぬるこてふかな  不角


|わがかげに○○|おいつきかぬる|こちょうかな○○|


季節は「こてふ(胡蝶)」で春。


立羽不角(たちば・ふかく)(1662~1753)の俳諧の発句です。


蕉風を克(よ)くする俳匠たちは、世間の名声には無頓着で隠者的気質の人が多かったのですが、不角は現世の栄達を求め、法眼にまで上り詰めた人です。


ほう‐げん【法眼】ホフ‥
②(法眼和尚位の略) 法印に次ぐ僧位。
③中世・近世、医師・画工・連歌師などに授けた位。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


高木蒼梧著『俳諧人名辞典』(厳南堂書店)には“其角に興(おこ)った洒落風(しゃれふう)がすでに難しいものであるのに、不角の俳風は一層解し難く、文字遊戯に近いものである”と、あります。


なので、上掲のような蕉風と云ってもいい発句は、稀なのかもしれません。


「追ひつきかぬる」は「追いつきかねる」「追いつくことが困難」ということです。


「こてふ」は、


こ‐ちょう【胡蝶・蝴蝶】‥テフ
①蝶の異称。《季 春》。文華秀麗集「数群の―空に飛び乱れ」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


なんですが、不角のことですから、


こ‐ちょう【孤蝶】‥テフ
つれのない1羽の蝶。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


(なにせ「こてふ」と仮名書きですから)や、


こちょう‐の‐ゆめ【胡蝶の夢】‥テフ‥
[荘子斉物論](荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れたという故事から) 現実と夢の区別がつかないこと。自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


を匂わせているのは、見やすいところでしょう。


作意とか、気取りが目に立って、やや鼻持ちならなぬ句姿とは云えますが、立ち現れてくる世界は、蕉風独特の知覚風景です。


一頭の蝶が飛ぶ様を、的確に描き出して破綻がありません。


地面に映る自分の影に近づいては離れる、それを「我影に追ひつきかぬる」と、端的に云い留めています。


この「我影」にも、春の光線ゆえの美しさがありますね。


夏・秋・冬の光線、それらの日射の角度によるどの色彩でも「追ひつきかぬる」が死んでしまいます。


さらに、冬の眠りから覚めた蝶なればこそ、この感じが生きてくるのです。


蝶が居れば、とうぜん傍には花があるでしょう。


菜の花なんてどうでしょう、道端には菜の花‥ありきたりだけど、いいですよね風景として‥まあ、このへんは読者の好みでかまわないと思います。


というか、こうやって至る処に空欄が仕掛けられてないと、脇が付けづらいですものね。


だって、知覚風景って、二人の人が並んで同じ風景を見ていたとしても、それぞれの見え方って違いますものね。


その見え方すら同一にせよ、なんてほど発句のリアリティは厳格ではありません。


脇を付ける人への気遣い、それが大切なんですね。


その気遣いがあればこそ、発句単独を味わう場合においても、読者をその世界に楽しく遊ばせてくれる、懐の深さがあるのです。


これがね、自己主張・自己表現をガチガチにされちゃうと、読者は、もう遊べなくなるのです。


ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜