君の目の
君の目のわづかな曇りぬぐひさり
我は見せたし私の素顔 ousia
私のは、俳諧直伝のやりかたで詠む短歌なんだけど、なんか最初の手応えを感じています。
私の感触だと、短歌ってどうやら述べてよさそうですね。
思いを込めて大丈夫みたい。
で、思うんだけど、俳句と短歌って逆転してません。
俳句が俳諧だった頃、それは雅俗の調和だったんだけど、なんか今は雅オンリーになってるような気がしないでもない。
一方短歌は、それこそ雅の代表格だったんだけど、現代短歌を見てみると、うまく雅俗の調和がなされているように思います。
現代短歌って、ひじょーにカジュアルだよね。
雅を追求している作者も、たぶんおられるのでしょうけどね。
俳句を作ってる自分が云うのもなんだけど、現代俳句はどこか堅苦しくて馴染めないところがあるような感触を持っています。
俳諧の世界にどっぷり浸かっていると、たまーに現代俳句とか読むと違和感あるんだよね。
まあ、これは相対的にそう云えるかな、くらいのことで、基準の置き方にもよるとは思いますけど‥。
とにかく今は、俳匠たちのレベルにはやく到達したいばかりです。
俳諧の型でがんじがらめに束縛してやってるんだけど、そうやって意識的に自由を奪ったはずなんだけど、最近少しだけ型の中で自由に動けるようになってきました。
で、このごろつくづく思うんだけど、俳句ってほんと身体的なんだよね。
昔、ソフトボールをやっていて、ピッチャーやりたくてウインドミルという投法を練習したことがあります。
これ、日常生活では絶対ありえない不自然な身体の使い方なんだよね。
で、最初はあれこれ考えながら壁にむかって何球も投げて練習するんだけど、そういう不自然な動きなので、なかなかうまく投げられない‥。
けどね、ある日突然、これが投げられるようになるんだよね。
ほんと身に付く感じ。
上達は、階段状にステージがポンポン上がって行く感じ。
右肩上がりの直線じゃない。
俳句も同じで、ある日突然目の前が開けるようにしてステージが上がる、新しい境涯に到達する‥。
文字通り、世界の見え方が変わってしまう。
いままでなんとも思わなかったものが、美しく見えたりする。
いままで自分は、目は開いてたはずなのになんてものを見てなかったんだろう、とか思ったりします。
昔の俳匠たちも、こんな感じで修行してたのかなぁ。
どんなところにたどり着くのか、少し怖くもあるけど、まあ、好きでやってることですからね、とにかく前進あるのみです。
ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜