補講
瀧本ツバキさんから、質問をいただきました。
それに答えることができるかどうか心許ない限りなんですが、きょうは補講をさせていただくことしましたので、ご了承ください。
“質問はですね
ゼロパルスっていうのは一拍二拍置くみたいな、カスタネットでやるタン タン ウン タン ウン ウン タン のウンの部分なんかなと思ってますがどうなんでしょうかというものです
この感覚は間違ってませんかね”
え~とですねぇ、知覚される聴覚で云うと、そのカスタネットの演奏が、楽曲の中のパートの一つじゃなくて、それじたい完結したカスタネットのみの楽曲であって、「タン」と「ウン」が同じ時間的な長さだとしたら、まさに「ウン」が、無音の打、つまり実質を持たないパルス、ゼロパルスです。
で、カスタネットを演奏する手の運動覚で考えると、カスタネットを打つ手の上下動がパルスにあたりますよね。
そのとき「タン」が実際にカスタネットを叩いて音を出している手の上下動なんだけど「ウン」のときも実際にはカスタネットを打たないけれど、位置をずらして上下動させているはずです。
でないと「リズムに乗っている」とは云えませんよね。
運動覚として知覚できるリズムにおいてのパルスは、手の上下動です。
この局面だと、聴覚リズムではゼロパルスだったものが、手の上下動という実質を持ちます。
これが、ゼロパルスもパルスである、ということを示していませんかね?
これらがパルスが聴覚、運動覚として知覚される場合です。
他方、知覚を離れて演奏そのものの局面においてパルスは「発音しない」と「出ていた音を消音する」を含む「発音タイミング」として示されます。
で、この「発音タイミング」に構造があって、その上に楽音が構築される-演奏される-と音楽です。
“カスタネットでやるタン タン ウン タン ウン ウン タン”というのは、すでに音楽ですよね。
人が、音楽にリズムを感じるのはそういうわけなんですけどね。
パルスは理論概念で、その指示対象(外延)は、たとえば音楽だと、楽音だとか、発音タイミングだとか、演奏家の演奏動作だとか、指揮者のタクトの動きだとか、そういうものです。
そういうものに、リズムが感じられるなら、リズムが存在すると感じられるなら、そこには必ずパルスが見て取れるはずです。
絵画にだって、リズムは存在するはずです。
絵そのものにもリズムを感じることがあると思うのですが、画家が絵を描いているとき、見てるとリズムを感じたりませんか?
食事をするとき、ご飯とオカズを交互に食べるでしょ?そのとき味覚にリズムが出てきませんか?
二瓶の違う香りの香水を一日ごとに取り替えて使うとき、ここにもリズムが存在していませんか?
パルスが見て取れませんか?
どうでしょう。
私は、世界はリズムに満ちている、と、つい云いたくなってしまうんですけどねぇ。
ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜