裸木や | 俳諧伝授

裸木や

裸木や一草庵は留守のまま  ousia


読み
はだかぎや いっそうあんは るすのまま


「裸木」は「枯木」という季語の傍題(副題)です。


“冬になって、葉がことごとく落ちつくした落葉樹で枯死した木ではない”( 山本健吉『最新俳句歳時記』)


「枯木」と「裸木」同じような事象を指示しますが、前者は植物の生命現象という側面、後者はその外見的な様相を表しています。


「一草庵」は、自由律の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか)(1882~1940)終焉の地です。


「庵」といっても江戸期の俳匠が暮らしたような草庵ではなく、普通の民家です。


きょう、なんとなく足が向いて、ふらりと一草庵を訪ねてみました。


ところが、これがなんと敷地および庵内工事中立ち入り禁止だったんですね。


え?一草庵、撤去されるの?とか一瞬思いましたが、庵はそのままで、庵の前に休憩所を新設する工事でした。


今年の11月に、いよいよNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放映が開始されますので、それに伴う観光客の増加を見込んでの工事でしょうね。


画像をアップしたかったのですが、そういう事情ですので、また今度、工事が完成したころに、ということで。


山頭火の作品をご紹介しますね。


(詞書)
大正十五年、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転(ぎょうこつるてん)の旅に出た。


分け入つても分け入つても青い山  山頭火


これが、いわゆる自由律俳句です。


五七五の定型を逸脱していることから、俳句とは区別され自由律俳句と呼ばれています。


まあ、読みとしては


わけいっても わけいっても あおいやま


ですから、六六五のリズムです。


ずっとそう思われてきたし、いまでも誰もがそう思っているでしょうね。


けど、私の主張するパルス-リズム理論だと、これ、同一リズムなんです。


図示してみます。


|わけいっても○|わけいっても○|あおいやま○○|


どうです?


俳句と同一の七連三拍リズムでしょ?


彼の全作品を分析したわけではありませんが、おそらく、ほとんどの作品が七連三拍に収まるんじゃないかな?


自由律俳句って、五七五じゃないから俳句じゃないって云われて、当時、排斥の憂き目に合ったんじゃなかったかな。


俳句の仲間として認めてもらえなかった‥。


私に云わせてもらえば、冗談じゃあない!ちゃんと同一リズムじゃん!そんなの単なる言い掛かりでしかないよ!です。


ごめんね、私がその時代に生まれてたら、排斥派をぐうの音もでないほど論駁できたのにね(; ;)


山頭火にしても、最初は五七五で作ってたんでしょうね。


そのリズムが、つまり七連∞拍リズムが躰に染みついていたんでしょう、7のパルスがね。


ほんと、リズムって身体的なんだよねぇ。


ではまたでスゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜