日を抱く庭の
ほれぼれと日を抱く庭の落葉哉 吏登
読み
ほれぼれとひをだくにわのおちばかな
季節は「落葉」で冬。
桜井吏登(さくらい・りとう)(1681~1755)の俳諧の発句です。
ほれ‐ぼれ【惚れ惚れ】
(ホレホレとも)
①ぼんやりとしたさま。放心したさま。日葡辞書「ヲンココロモハヤホレホレトナッテ」
②心を奪われ、うっとりするさま。「―と見入る」「―するような美声」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
「落葉」は古くから詩歌に詠まれてきた季語(竪題)ですから、詠み方の典型や慣習的な情感、つまり本意が存在します。
要約すれば前者が「風に散りゆく有様」後者が「物がなしき心」でしょうか。
ですがご覧のように、吏登は落葉そのものの姿に「物の光」を見たようです。
ここにも、私が勝手に唱えている芭蕉が成した詩の変革のテーゼ「事象そのものへ」が見て取れますね。ふふふ ?
落葉は「風に散りゆく有様」を詠むのが典型ですが、この句は庭に散り敷いた落葉、さらに「物がなしき心」は、背後に退いた観があります。
吏登の視点は、落葉そのものへと指向しています。
冬日の差し込む庭、一面に散り敷いた落葉に、逆光に透けた色を含む、それぞれの仕方で紅葉した豊かな色彩が見えてきます。
また、重なる落葉その個々の形状、乾いて反り返った様態などが、冬日独特の角度によってできる深い陰影によってその立体感を際立たせています。
「ほれぼれとひをだく」という云い留めの見事さですね。
この、美しさに目を奪われてしまった吏登の視点が、ありありと立ち現れてきますよね、日射しは暖かだが空気は冷たいという皮膚感覚をともなって‥。
ここでちょっと時代を遡ってみましょう。
吹くたびの風の色わく落葉哉 宗祇
芭蕉が慕って止まなかった飯尾宗祇(1421~1502)による、連歌の発句です。
ここにおいてすでに「風に散りゆく有様」という本意に従いつつ、落葉じたいの色彩の美しさへの着目が見て取れます。
実は私、芭蕉の詩の変革のもう一つのテーゼは「宗祇に帰れ」であると、密かに思っているのですよ、ふふふ(▼▼;)?