コメ返ぶろぐ8
tomoka様
「時雨」は、地形的に京都のような盆地に多く見られる、ということなんですが、日本は基本的に山国ですからこの時期山の南斜面に居れば、遭遇する可能性はどの地方にだってありますよね。
私も、過去に何度か遭遇したことがあります。
そのとき「あ、これ、時雨なんだ!」って思って、芭蕉の発句が浮かびました。
「旅人と我名よばれん」って、こういうことだったのか。
「猿も小箕を欲しげ也」って、こういうことだったのか。
去来の句も浮かびました。
「鳶の羽も刷ぬ」って、こういうことだったのか。
季語の良さって、こういうところにもありますよね。
時空を越えて同じ季語の中に居るとき「そうだ!この感じなんだ!」ってなにかがわかる、っていうのがあります。
「そうだ!この感じなんだ!」って‥芭蕉や去来の思いの中に居る私に気づいたりします。
情感‥そう情感だよね‥時雨の中に居るっていうそれじたいが情感。
そのとき私が体験している状況そのものの相貌‥それが情感だと‥私は思っています。