まちかどの
さて、詩論ですねは下肢の膝から踝(くるぶし)に至る部分。
コトバの線状性(時間性)っていう語が、使えるようになりました。
散文(通常文)っていうのは、コトバの線状性にしたがって記述されます-会話もそうですよね。
さん‐ぶん【散文】
(「散」は制限のない意) 平仄(ひようそく)・韻脚もしくは字数・音節数などの制限のない通常の文章。⇔韻文。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
一方、詩はリズムの上に構築されます。
これ、コトバの線状性が切断、つまり分節-統合されるってことです。
詩には「音節の連なり(コトバ)は、分節と統合によって意味が発生する」に加え、リズムによる分節と統合っていう二重構造があるわけです。
これですね、これ!
これが、詩の豊かな表現力を生み出すのですよ、知ってました?
どういうことか、ちょっと、実況中継風にやってみましょう。
音節が出現し始めました。
いくつかの音節が出現し、そのいくつかが分節-統合され、語が出現しました。
その間も休みなく、音節は出現しつづけます。
最初の語の出現につづいて次の語が、出現しつづける音節から分節-統合され出現しました。
このとき、最初の語と次の語の構文的関係が現れてきます。
その間も休みなく、音節は出現しつづけます。
次の語の出現につづいて次の次の語が、出現しつづける音節から分節-統合され出現しました。
このとき、最初の語と次の語と次の次の語の構文的関係が現れてきます。
まあ、こうやって散文だと、この単純な繰り返しで記述が進行しますが、詩の場合、一定の音節数になると、そこでリズムによる分節-統合が起きます。
その時点で出現していた語、あるいは語と語の構文関係の現れた複数の語は、一つにまとめあげられ、そこで「一つのもの」になります。
で、そういうふうにして一定の音節数が「一つのもの」にまとめあげられたものが、おなじように(定型詩の場合)一定のリズムの枠数だけ繰り返されます。
これが、形式から見た詩の在り方です。
「リズムによるコトバの分節-統合」っていうのが、明らかに散文とは違いますよね。
「リズムによるコトバの分節-統合」これ、これですよ、これ!
これが、詩の豊かな表現力を生み出すのです。
今回は、ここまでにします。
次回は、たぶん時間論や存在論に立ち入った話になると思います。
私、ちょっとビビリが入ってます、おののいて、逡巡-ぐずぐずためらってます。
こんなのやっていいんかいな?というような、とまどいです。
「季語の話」に、逃げたいです、誰か代わってください。(;.;)
抽象的思弁的な世界を、くぐり抜けなきゃなりません。
で、はたして、どんな世界にたどり着くんでしょうね、ははは、でもまあ、やるっきゃないか(/_;)
乞うご期待?
まちかどの見通し鴨脚樹落葉かな ousia
読み
まちかどのみとおしいちょうおちばかな