虹色に透く
詩論ですぎる杭はほったらかし!?
「音節の連なり(コトバ)は、分節と統合によって意味が発生する」
とりあえず、これはよろしいですね。
次は、言語の線状性あるいは時間性です。
これも、あたりまえっちゃあたりまえなんですけどね。
コトバって
ふ・る・い・け・や‥‥‥
という具合に発話されるのに時間経過が必要ですよね。
聞く場合もそうだし、書く場合、読む場合もそうです。
こういうふうに、発話されたり聞かれたり書かれたり読まれたりするすべての場面において言語は時間に添って順番に現れてきますよね。
この性質が、言語の線状性・時間性(以下線状性と記す)です。
音声言語だと、これはあからさまですよね。
ただ、文字言語だと漢字っていう表意文字が交じってきますから-漢字ってのは画像みたいにいっぺんに全体と部分が視野に入ってきますから-線状性とは無縁にも思えますが、漢字も音声化して読むならそこに線状性は現れてきます。
詩はリズムの上に構築されたコトバでした。
で、リズムについても、それが聴覚リズムであるなら音声として時間にそって展開されますから、とうぜん線状性という性質を持ちますよね。
リズムとコトバの同質性です。
え~と、この詩論のリズム編を思い出してください。
リズムは、構造を持ったパルスでした。
パルスは分節・統合されることによって構造を持ちました。
これ、コトバの在り方に似てますよね。
音節の連なり(コトバ)は、分節と統合によって意味が発生する。
パルスは分節・統合によって構造を持ったパルス、つまりリズムになる。
分節・統合って切ることです。
ってことは、詩はリズムとコトバっていう二重の切れの構造を持ってるんですね。
でもって、散文にはこの二重構造がありません。
詩の表現の秘密は、どうやらこのあたりにありそうです。
先を急がないために、今回はここまでにします。
小春日や虹色に透く蜘蛛の糸 ousia
読み
こはるびやにじいろにすくくものいと