野良猫ひょいと
詩論、しばし立ち止まって雑談めいたことを‥。
え~、とりあえずリズムと云うものが手触りのある確かなものとして感じられる、というところまで来ました。
で、次の問いとしては、このリズムなんて云うものが実際いかに詩(コトバ)の現場で表現として働くか、です。
う~ん、どうだろ?
このあたりまでくると、ほとんど人跡未踏の領域ですからね‥。
うまく語れるかどうか‥。
リズムの働きと、コトバの働きを、形式の面から同時に語らなきゃなりません。
その過程で、おそらく「切字(切れ)」の働きも解明できると思います。
「リズム」と「切れ」については、ほかの詩、短歌や定型でない詩にも充分応用が利くと思います。
「切字(切れ)」って俳句特有のものと思われがちですが、詩の技法としてはけっこう-それと知られずに-使われてるんじゃないかな?
それから、俳句特有と云えば「季語」というのがあります。
これはさすがに、いろんな人がいろんなふうに語ってますから、私は付け足しするだけで済みそうです。
けど、ここまで語っても、俳諧(の連歌)では発句を語っただけにすぎません。
まだ連歌本体が残ってるんですね。
こいつを片付けて、芭蕉の詩の変革の意義を明らかにして、それでこのブログはおしまい、ということになりそうです。
とか見通しを立てても、その通りには行かないんですよね、これが。
あっちへよたよた、こっちへよたよた、まあ、それが私のスタイルと云えばスタイルなんですけどね。(^^ゞ
小春日や野良猫ひょいと塀に乗る ousia
読み
こはるびやのらねこひょいとへいにのる