物の怪も住む
詩論つづけましょう(魔性)の女は好きだが怖い。
俳句がああいうリズムだなんて、思ってました?
七連三拍リズム。
それと同じリズムで創った音楽を聴いていただいたのですが、いかがでしたでしょうか?
こんな角度からアプローチした音楽なんて、そう滅多に耳にしないですものね。
俳句と同一のリズムを持った音楽、さぞ面食らっただろうと思います。
まあ、ホラ話の一つだと思ってもらってかまいません。
でも、あれを創っているときは、正直鳥肌立ちまくりでした。
七個のパルスが統合されて構造を成し、それがまたパルスとして反復される‥。
そこで起きていることの比類なさ‥。
構成の仕方によっては、あらゆる局面で、私がオモテ・ウラ変換と名付けた現象が生起します。
オモテであったものが、いつのまにかウラになってたり、ウラのはずが気づいてみればオモテだったり、あのリズムは、大袈裟に云えば流転して止まぬ万物の姿そのものです。
予定調和を拒み、消費されることを拒否し‥。
日本語の定型詩が、あの形、あのリズムを根底に持って詠い継がれてきたのも、私に云わせてもらえれば、あたりまえだし、あれ意外には成りようがなかった、と云いたくなります。
ほんとうのところは、私にも判りませんけどね。
というか、確かめようがないんですね。
音声を記録できるようになったのは、エジソンの蓄音機以来でしょうから、それ以前のことなんて、誰も知らない。
ただ、噺家さんのベテランクラスの語りにはパルスを感じ取れるし、実際五七五の川柳や俳句は、あのリズムで云ってるんじゃないかと思います。
江戸期の噺家の多くは俳諧を嗜んでいた、これは事実です。
俳匠たちとも盛んに交流してたようですから、あるいは俳諧のリズムも伝承されているんじゃないか、とか思ったわけです。
こういうのって、誰も調べたことないのかな?
意外な盲点だと思うんですけどね。
まあ、とにかく、詩の表現力がリズムに裏打ちされて成立している、ということさえ理解していただいたら、私はそれでかまいません。
コトバが一定のリズムに乗っかる、それだけで不思議なことが起きます。
木田元氏は「記憶用の言語」とか云ってましたが、たしかに標語なんてのも覚えやすいですよね。
印象付けられてしまうというか、なんというか‥。
そういうリズムの摩訶不思議な働きに目を付けたんでしょうね、いにしえの歌人たちは。
自分の思いとか感情とか思想を、ある種の力を秘めた形あるものにしてみたかった‥。
そういうことでしょうね、現代に繋がる「表現用の言語」としての詩が生まれたのは。
あっと、「記憶用の言語」と「表現用の言語」のあいだに「儀式用の言語」なんて時代があったかもしれませんね。
まあ、そのあたりは学問じゃないですからアバウトに。
え~と、この詩論としての現在位置としては、詩のリズムがありありと見えている、ということでよろしいでしょうか。
定型詩に即して論を進めていますが、定型でない詩も根本は変わりません。
一定の定まったリズムの中で表現するか、リズムじたいも自由に創造しながら表現するか、の違いだけです。
ともあれ、今回はこのあたりで。
凩や物の怪も住む売物件 ousia
読み
こがらしやもののけもすむうりぶっけん