青きがままに
今回もパルスの話をしましょう。
一般的に、リズムと云えば音楽を思い浮かべますよね。
音楽のリズムは、主に聴覚で捉えるリズムかな‥。
演奏する立場に立つと、運動覚も入ってくるだろうし、演奏しているのを見るときは、視覚で演奏家の動きにリズムを感じたりしますよね。
触覚のリズムと云えば、マッサージなんかそうですね。
マッサージチェアーに腰掛けてマッサージしてるときなんか、モロ触覚リズム。
味覚や臭覚にもリズムってありますよね。
こういう視・聴・嗅・味・触・運動覚をつらぬくリズム、つまり「リズム一般」を語ることのできる言語って今まであったでしょうか?
リズムなんて、けっこう曖昧なコトバだったんじゃないかな。
リズムを語りながら、なんか解ったような気になってただけなんじゃないだろうか。
私は、リズムを語りたいんですね。
そのための共通了解事項としてパルスなんてものを、持ち出したんです。
パルスは、詰まるところ「周期的反復」という「性質だけ」のものです。
詩論の最初のほうで、ぎごちない定義なんかしたから、パルスがなにか実体のあるものだとお思いでしたら、それは間違いですよ。
でも、それは私の説明が至らなかったせいで、あなたのせいではありません。
視・聴・嗅・味・触・運動覚に「周期的反復」が見て取れるときにだけ、パルスは実体化します、そういうものです。
あっと、感情とか思考とかも「周期的反復」のあるときなら、パルスですね。
ところで、さしあったてたいていの場合、パルスはすでにリズムとして知覚されます。
でも、「構造を持ったパルス」がリズムですから、リズムの現れているときには、パルスも同時に現れているんですけどね。
それはこういうことです。
最初にパルスの例としてあげたものを、再度並べてみます。
等間隔に立ち並ぶ電信柱、ビルの窓、障子の桟、機械時計のメカニズムが立てる音、振り子時計の振り子の動き、カラオケの熱唱に合わせてする手拍子、メトロノームの音、機械が話す抑揚のない棒読みの日本語、月の満ち欠け、救急車のサイレン、人の二足歩行、一日、一週間、一年、一世紀、結晶中の分子配列‥‥‥
このなかから「等間隔に立ち並ぶ電信柱」を見てみましょう。
最近は、電線・電話線・光ケーブルの地下埋設なんてことがありますから、都市部では見られないかもしれないけど、電柱の立ち並ぶ風景なんてありふれたものですよね。
視覚リズムですから、とりあえず近くにあれば見てください。
どうです?こうやってあらためて眺めてみると、これはリズムだなあ、って思いませんか?
一本一本を目で追って行くなら、よりいっそうリズムを感得できるんじゃないでしょうか。
このとき電柱一本一本はパルスですね、周期的反復です、構造を持ちません。
でも、たしかにリズムを感じます。
なぜでしょう?
そうです、電柱と電柱の間には、電柱の無い空間があるからですね。
私達は「電柱」と「電柱の無い空間」、この繰り返しによって、そこにリズムを見てるんじゃないでしょうか。
「電柱の無い空間」実はこれもパルスなんですね。
(このような「無い」パルスを「ゼロパルス」と呼ぶことにします)
だって「電柱の無い空間」も周期的(この場合は視覚ですから等間隔)に反復してるでしょ?
電柱の|ある・なし|ある・なし|ある・なし|ある・なし|‥‥‥
(ちなみに、|ある・なし|じたいも周期的に反復してますよね、だからリズムは「構造を持った“パルス”」なんですよ)
このような(|ある・なし|の)構造化によって「等間隔に立ち並ぶ電信柱」には、リズムが感じられる(知覚される)んだと思います。
今回は、パルス-リズム理論を比較的うまく語れたんじゃないかと思います。
次は「ゼロパルス」について語ってみましょうか。
今回はここまでです。
秋の空青きがままに暮れにけり ousia
読み
あきのそらあおきがままにくれにけり