高瀬舟 | 俳諧伝授

高瀬舟

風に乗る川霧かろし高瀬舟  宗因


読み
かぜにのるかわぎりかろしたかせぶね


季は「霧」で秋。


西山宗因(にしやま・そういん)(1605~1682)の発句である。


きり【霧】
①地面や海面に接した気層中で水蒸気が凝結し、無数の微小な水滴となって大気中に浮遊し、煙のように見えるもの。古くは春秋ともに霞(かすみ)とも霧ともいったが、平安時代以降、春立つのを霞、秋立つのを霧と呼び分ける。気象観測では水平視程が一キロメートル未満の場合をいい、一キロメートル以上は靄(もや)という。《季 秋》。万葉集5「春の野に―立ち渡り」。「―がかかる」
②人の吐く息。万葉集15「わぎもこが嘆きの―に飽かましものを」
③液体を噴出させて霧#のようにしたもの。「―を吹く」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


大気中に浮遊する無数の微少な水滴も、霧、霞、靄、と、異なるコトバによって切り取られる毎に存在を変える、不思議なものだ。


霧は、秋を代表する景物のひとつである。


知らない人が多いので、こんな事も述べておかなくてはならないのだろうな。


嫌な時代だ。


たかせ‐ぶね【高瀬舟】
古代から近世まで広く各地の河川で用いられた、舳(へさき)が高く上がり底が平らな小形の箱型運送船。近世、利根川水系で用いられた高瀬船のみは大形で別格。(書名別項)
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版] 


現代でも、各地の川舟には「高瀬舟」の面影があるのではないかと思う。


川漁師は、エンジン付きながら、独特の底の平らな形状の川舟を、今でも使っている。


にしやま‐そういん【西山宗因】
江戸前期の連歌師・俳人。談林派の祖。諱は豊一(とよかず)、俳名は一幽・西翁・梅翁など。肥後八代(やつしろ)城主加藤正方の侍臣。連歌を里村昌琢(しようたく)に学び、浪人して連歌師となり、後に俳諧に転じて別風を興し、門下に西鶴をはじめ多数の俳人を輩出。編著「宗因連歌千句」「天満千句」など。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


宗因は、蕉風以前の俳諧(談林)の中心人物である。


が、上掲句はすでに蕉風の句といってもいいだろう。


蕉風は、時代そのものでもあり、各地で同時多発的に生起したもので、その中心に居たのが芭蕉個人だったということ。


芭蕉は、時代の要請に抜きん出て意識的であったのが、ほかの俳匠との違いかと思う。


蕉風とは、画期の謂いでもある。


蕉風において俳諧に起こった変化は、ずっと以前に述べた「事象そのものへ」と「述べることの断念」である。


ここを述べてしまうなら、この「俳諧伝授」は役目を終える。


が、さすがにここは重い。


が、現代社会において不当に遇されている俳匠達のことを思えば、前に出ざるを得ない。


浮世絵が、欧において初期印象派の画家たちに多大なる影響を与えたように、俳諧は、西洋の詩に多大なる影響をあたえた。


映画も然り。


手塚治虫は漫画に映画的手法を取り入れたが、そのなかには、俳諧からヒントを得た技法(モンタージュ)も含まれているのである。


漫画がそうであれば、アニメは云うまでもないだろう。


が、詩人も映画人も漫画人もアニメ人も、すべて西洋を向いて、そこから学ぼうとしている-してきた。


が、君たちが学んだものも、すべてとは云わないが、元をたどれば日本の俳諧に行き着くのである。


ならば、どうして、俳諧から直接学ぼうとしないのか。


現代の芸術は、おしなべて行き詰まりの状態にあるのではないか。


その打開の道を示すのが、俳諧ではないのか。


その可能性は充分ある。


俳諧は、我々が世界に誇るべき文化遺産である。


詩人よ映画人よ漫画人よアニメ人よ、足元を見よ。


俳諧という宝の山は、そこにある、いつだってそこにあるんだぞ。


(^_^)話は見事に脱線してしまった。


許されよ宗因。