水村山廓 | 俳諧伝授

水村山廓

はぜ釣るや水村山廓酒旗の風  嵐雪


読み
はぜつるやすいそんさんかくしゅきのかぜ


季は「はぜ(鯊)」で秋。


服部嵐雪(はっとり・らんせつ)(1654~1707)の発句である。


この句の切字は「や」で、かさね描きの働きをする。


「はぜ釣る(や)」と「水村山廓酒旗の風」は、かさね描きされる。


この句「水村山廓酒旗の風」が問題なのだが、日本語である、漢字の意味を追えばそれなりに、切れ字「や」の働きによって一瞬にかさね描きされた世界が立ち現れる。


「水村」は、水辺の村、「山廓」は、山辺の街、「酒旗」は、居酒屋を示す看板の幟(のぼり)と見てよさそうだ。


【鯊(はぜ)】
川の鮒、海の鯊がもっとも大衆的な釣魚である。十数センチの、口広く、細長い魚で、淡黄色で不明瞭な斑点がああり、胸鰭は黄色い。河口や浅場に多く、七、八月から釣れるが、釣人が押しかけるのは秋の彼岸からで、ことに彼岸の鯊は中気の薬になると言い、わけなく大量に釣れるので喜ばれる。(後略)
〔 山本健吉編『最新俳句歳時記』〕


「はぜ釣る(や)」これは歳時記の説明どおりの魚を釣るのである。


魚釣に「のっこみ」「落ち」という言葉がある。


春に産卵期を迎える魚は、海水温の上昇とともに産卵のため浅場に乗っ込んでくる、これが「のっこみ」である。


こういう魚はたいてい、秋がおとずれ水温の低下が始まると、深場へ戻って行く、これが「落ち」である。


秋の彼岸ころ、わけなく大量に釣れるのは、この「落ち鯊」である。


餌の少ない深場での越冬にそなえ、この時期の鯊は「あら食い」する。


誰でも、たやすく釣れる。


よって「はぜ釣る(や)」のみで立ち現れるのは、老若男女入り交じっての賑やかで楽しい、魚釣風景なのである。


そういう風景にかさね描きされる「水村山廓酒旗の風」。


だが‥上に示したようなひととおりの情景は立ち現れる‥。


が、それでもまだ世界は不鮮明である。


「水村山廓酒旗の風」‥漢詩の一節のように思える。


そういえば‥と、ほのかな予感めいたものに動かされ、ひもといたのが村上哲見著『唐詩』。


なんと、あるではないか、これは杜牧(とぼく)の「江南道中春望」という七言絶句の一節であった。


江南道中春望  杜牧


千里鶯啼緑映紅
(千里鶯啼いて 緑 紅に映ず)


水村山廓酒旗風
(水村 山廓 酒旗の風)


南朝四百八十寺
(南朝 四百八十寺)


多少楼台煙雨中
(多少の楼台 煙雨の中)


ここにおいて、この句は全(まった)き世界を顕現させる。


この七言絶句に描かれているのは、春の長閑(のどか)な(江南の)風景。


こう‐なん【江南】カウ‥
②長江下流南側の地。江蘇・安徽省南部と浙江省北部を含む。広く、長江以南の地方を指すこともある。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


「はぜ釣る(や)」の、賑やかな、老若男女入り交じっての魚釣風景に、嵐雪は、ある種の春にはない長閑さを、見て取っているのである。(「のどか」の季は春 )


また、はぜ釣りの岸辺、爽やかな秋風に揺れる葦(あし)や薄(すすき)や荻(おぎ)に、水村山廓の酒旗のはためきをも、重ね見ているのではないだろうか。



以下余談


この句、「はぜ釣る」は季の言葉。


「や」は切字。


「水村山廓酒旗の風」は唐詩の一節。


どこにオリジナリティや価値があるの?と思われる方があるかもしれない。


文学作品として見た場合、そう見えるだろう。


が、「はぜ釣る」「や」「水村山廓酒旗の風」と無造作とも思えるように置いたところ、ここにこそ、この句の無心のたわむれ、つまり俳諧があるのである。


それに個人的なことを云えば、この句によって立ち現れる世界にしばし遊ぶとき、私は楽しくてしかたがない。


嵐雪の無心のたわむれが、楽しく好ましく親(ちか)しく思え、つい、この句の世界を、離れがたくなるのである。