稲田のうへの
大相撲秋場所の番付である。
右上の縦長の空白は、先だっての大麻事件で日本相撲協会を解雇された力士の四股名があったはずの空白である。
あらためて思った。
相撲は、スポーツなのだろうか?
いや、外国人力士を排斥しようというのではない。
国技大相撲の存続は、彼ら外国人力士の功績による。
それは、誰にも異存のないところであろう。
北京オリンピックを見ていて、あらためて思った。
柔道は、スポーツなのだろうか?
嘉納治五郎は、それまで個々の流派としてあった「柔術」を総合、体系化し「柔道」を創始したという。
「柔術」は近代化され「柔道」と呼ばれるものになった。
『俳諧伝授』を書いていていつも思う。
俳句は、文学なのだろうか?
正岡子規は、俳諧の連歌の巻頭句だけを切り離し「俳句」が生まれた。
「俳諧」は近代化され「俳句」と呼ばれるものになった。
上の問いに共通するのは、近代化によって我々は何かを失い、何かを得た、ということ。
それは、誰にも異存のないところであろう。
では、我々は何を失い、何を得たのか?
というより、そもそもこの問いに答えなどあるのだろうか?
私は、俳諧と俳句のあいだに屹立する壁に風穴を開けようと思っている。
鑿(のみ)を当て槌(つち)をふるい、巨大な壁を穿(うが)とうとする。
が、穿っても穿っても穴はただちに閉じてしまう。
「なにアホなことやってんだよ」という声がする。
「そんな無意味なことして何になる」という嘲りが聞こえる。
「ただ待っているよりは、ましなんじゃないの」と、私は反論する。
近代(modern age)は、ヨーロッパに発した。
ヨーロッパとは何か。
古代ギリシャ・ローマの古典とキリスト教を共有する共同体である。
近代はヨーロッパに生まれ、他の文明圏からは生まれなかった。
近代の推進力である科学は、ヨーロッパに生まれ、他の文明圏からは生まれなかった。
たとえば、陰陽五行説は物理学を生まなかった。
今、ヨーロッパが静かなんじゃないか?
彼らは次なる時代に備え、自らの足下を固めつつあるんじゃないか?
このまま世界の近代化がすすめば、石油を中心とした資源の争奪合戦になることは目に見えている。
最初に近代化を遂げた彼らは、すでに次の時代を見据えて、待ちの姿勢になっているのではないか?
彼らの近代は、もう黄昏時なのかもしれない。
「ミネルバの梟は夕暮れに飛び立つ」
彼らは伝統のなかに立て籠もり、静かに、ミネルバの梟のはばたきを、待っているのではないだろうか。
注:以上は個人のタワゴトです。気にしないでくださいね。
輝ける稲田のうへの蜻蛉かな ousia
読み
かがやけるいなだのうえのとんぼかな
