鬼の貫之
我が身の細うなりたや牡丹畑 鬼貫
読み
われがみのほそうなりたやぼたんばた
季は「牡丹」で夏。
ふたたび、上島鬼貫(おにつら)(1661~1738)の句である。
「牡丹畑」は、おそらく「牡丹園」のことだろう。
句末に「園(えん)」と置いては、音韻上の座りが悪いのがひとつ。(音声化して、くらべると判る)
「畑」の持つ土の香りが欲しかった、というのがひとつ。
以上二つの理由で「園」を「畑」と言い換えたのではないか、というのが私の推測。
牡丹の咲き競う中を、作者は歩いているのだ。
ときおり、葉や見事な花に身体が触れそうになる‥。
そのたびに、身をかがめたり、よじったりしながら、歩いているのだ。
牡丹という花の気品が、そうさせずにはおかないのだ。
「我が身の細うなりたや」は、そのときの心のつぶやきだろう。
もう一句、鬼貫を読もう。
さは/\と蓮うごかす池の亀 鬼貫
読み
さわさわとはちすうごかすいけのかめ
季は「蓮」で夏。
これは、解説の必要もあるまい。
もう一句。
すゞ風やあちらむきたるみだれ髪 鬼貫
読み
すずかぜやあちらむきたるみだれがみ
季は「すゞ風」で夏。
「みだれ髪」は「ほつれ髪」くらいに受け取ろう。
涼風にほつれ髪をなぶるにまかせた、女性の白いうなじが見えてくる。
これを妖艶と云ってしまえば、云いすぎだろう。
「すゞ風」なのだから、ほのかな色香、と云ったところか。
もう一句行こう。
なんとけふの暑さはと石の塵を吹 鬼貫
読み
なんときょうのあつさはといしのちりをふく
季は「暑さ」で夏。
これは「なんときょうの暑さは」と口にして、夕涼みのために座る石の塵を吹き払っているのだ。
破調のリズムが、面白く心地よい。
芭蕉や蕪村のような派手さはないが、どれも味わいのある句だ。
ちなみに「鬼貫」は「鬼の貫之(紀貫之)」とか。
休日を思ひ思ひの田植かな ousia
読み
きゅうじつをおもいおもいのたうえかな