戻宝山
順礼の棒ばかり行く夏野かな 重頼
読み
じゅんれいのぼうばかりゆくなつのかな
季は「夏野」で夏。
松江重頼(維舟)(1602~1680)の句である。
重頼は、芭蕉(蕉風)以前の俳諧師だが、蕉風の到来を予言するような句だ。
当時主流だった掛詞、縁語、典拠による詠ではなく、実景を眼前にしての吟、という趣がある。
夏草の生い茂る野を黙々と行く順礼‥背丈ほどもある草の先端から、その棒(杖)の先ばかりが見えている、と云うのだ。
「杖」をあえて「棒」と云ったところにも、この句の面白さ(俳諧味)があるだろう。
「夏野」という語のスケールから云って、この順礼は複数であることが似つかわしく思われる。
時たまかいま見える白衣(びゃくえ)と、夏草・青葉とのコントラストも良い。
草いきれや、汗の匂いさえしてきそうだ。
‥蝉時雨さえ聞こえてくるような気がしませんか?
切れ字「かな」も、よく働いていて‥というより切れ字「かな」の威力をよく知ったうえでの使い方で、これは作者の手柄と云える。
俳諧は、詞の表面を離れ、開かれた世界より密かに匂ってくるものへと変貌している。
俳諧におけるこの変貌こそが、芭蕉の業績なのだが‥その意味でこの句は蕉風の到来を予言している。
重頼の編纂した『小夜中山集』に、芭蕉の最初期の作とされている「月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿」「姥桜さくや老後の思ひ出」が入集しているのも、縁と云うべきか。
うたかたの乾して消えざる代田かな ousia
読み
うたかたのひしてきえざるしろたかな