螢
狩衣の袖のうら這ふほたる哉 蕪村
読み
かりぎぬのそでのうらはうほたるかな
季は「螢」で夏。
与謝蕪村(1716~1783)の句である。
螢の本意を掻い摘んで云うなら「恋」ということになろうか。
藤原定家の
さゆり葉のしられぬ恋もあるものを身よりあまりて行く蛍かな
芦の屋に蛍やまがふ海人やたく思ひもこひも夜はもえつつ
あるいは『源氏物語』玉鬘の歌
声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
寂蓮法師の
思ひあれば袖に螢をつゝみてもいはゞや物を問人はなし
などを見ていだだければ、お判りになるだろう。
蕪村の句に、表面上恋は見えない。
だが、なんとなくほのかに恋の情感が匂ってきませんか?
螢=恋は、俳諧師の共通了解事項だったであろう。
そこで、炭 太祗(たん たいぎ 1709~1771)の句である。
うつす手に光る蛍や指のまた 太祗
読み
うつすてにひかるほたるやゆびのまた
太祗は、いわば蕪村の盟友とも云える人。
蕪村の『春風馬堤曲』は
君不見古人太祗が句
藪入りの寝るやひとりの親の側
と、結ばれている。
両人の俳諧には、互いの句を意識したような句が散見される。
上掲二句をならべて読んで見てほしい。
狩衣の袖のうら這ふほたる哉 蕪村
うつす手に光る蛍や指のまた 太祗
どうだろう、恋のワン・シーンが彷彿としませんか?
灯蛾しきり志功あるいはヴァン・ゴッホ ousia
読み
ひがしきりしこうあるいはう゛ぁんごっほ