山頭火
鉄鉢で思い出した句がある。
鉄鉢の中へも霰 山頭火
読み
てっぱつのなかへもあられ
種田山頭火(1882~1940)の自由律俳句だ。
私の住む松山には四国八十八箇所の霊場があるので、山門に応器(鉄鉢)で喜捨を乞う、遍路や修行僧をよく見かける。
あの黒い、両手のひらを合わせたほどの鉢へ霰が降る。
応器の黒と霰の白のコントラスト。
金属音。
霰の粒は、舎利に見えてくるかもしれない。
自由律俳句は、五七五の韻律も季も捨てた。
俳諧から俳句への近代化が、生み出すべくして生み出したものだ。
定型ではないとは云え、自由律俳句も日本語の詩だ。
詩は詩の形式を持つ。
詩の形式の無いところに詩は成立しない。
ただ、定型でない詩は作者自らが形式を創造しなければならない。
作品ごとに、そのつど詩の形式を創造する、それが「自由」を冠する所以だ。
これは並大抵な力量で、できることではない。
自由律俳句が俳句ほどの隆盛を見せなかったのも、宜なるかな。
にせアカシア雨を呼ばむと咲きにけり ousia
読み
にせあかしああめをよばんとさきにけり