私のつたない経験から言うと、武道にしろ、スポーツにしろ、学問にしろ、すべての分野で肩書による権威を求める人はいる。
そして、肩書による権威を求める人は決まって実力が二流である。
一流は肩書がなくてもその実力が人を惹きつけ、その人が求めてなくても権威を持てる。
三流は実力が明らかに足りていないので、肩書を求めることができない。
二流は肩書を狙う実力はあるが、一流ほどの実力はないため、一流の前ではその権威がかすんでしまう。
そして、この二流の中でも、特に承認欲求が強い人は、このことが許せない。
だから、そこそこやれる人が権威主義に走ってしまいがちなのである。
もちろん全ての二流がそうなるわけではなく、承認欲求が強い二流がそうなるのである。
基本的に二流は、努力か才能か環境の条件が満たされていない。
本来は努力によって足りない要素をカバーしなければならないのだが、一流には肩書がないと勝てないために肩書を獲得するために力を割いてしまう。
だから、そのような二流は一流にはなれない。
そもそも一流が一流になれるのはある事柄に傾倒しているからであって、集団の中の評価すら興味がないような人が多い。
したがって、肩書を求める人にその地位を譲るようになり、一流が必ずしも一流の評価を受けないようなる。
むしろ一流の人たちは政治的なしがらみから逃れるために積極的に集団から離れるようになる。
やがて、一流が集団を去り、集団の上部を二流だけで占められるようなるが、その中でも肩書を求める二流がより上位につくようになる。
そして、権威を求める人は言うことを聞かせたいと考えているから、二流同士で軋轢が生じ、肩書を持たない二流が集団を去る。
最終的には承認欲求の強い二流だけが残り、その中で競争が激化するため、上層部では政治的な駆け引きだけが重要なポイントになる。
集団の上層部が政治的な駆け引きに注力せざるを得なくなり、集団全体の実力が下がり、その状況を見た三流以下が呆れて集団を去る。
そして、集団は縮小し、最悪の場合消滅する。