前回の日記で「信じる信じないという問いの立て方をとうに放棄している」
「亡くなった方の魂が存在するうんぬん」はどうでもよいこと、と冒頭に書きつつ
「梅さん魂とか大前提にしてるじゃん」というお問い合わせをいただきました。
そうです。
おっしゃるとおりですね、その疑問!
霊魂だ魂だというとスピリチュアルかオカルトな話しになりますが、そもそも前回の日記、mixiに書き連ねた内容、タイトルを「我がスピリチュアル・タスク」としました。
(mixiもやってますので、マイミク申請どうぞよろしく。)
僕にとってのスピリチュアルって、ということだったわけです。
で、文脈で見ていただきたいのですが。
>唯一無二のかけがえの無い貴い魂であると。
その人の地位、能力、容貌、賜物、為した事、人格、ではなく
一個の魂として観る。
こういう文脈上で「魂」と使用している内容、僕の中で [being] という謂いが一番近い感覚です。
being、存在、です。
DOING、何を為したかではなくBEING、存在そのもを見る。
加えて、容貌だ、地位だ能力だ・・・それにも惑わされない。
この目線ですと、罪を憎んで人を憎まず、の世界に入って行きますね。
霊的に惨め貧しい、については、「ここに在る自分」を粗末に運用している。
その事に気が付けていない。
無自覚で歪んだ認知やら自分だけの論理に縛られているありさまですね。
霊的にとか魂とか書いていますが、置き換えるとこんな言葉になるでしょうか。
しかし「それだけではない」。
そこを「謙虚に空けて置き」 「無理苦里に言葉にしないこと」
それが人間には必要と僕は考えます。
いきなり、守護霊だ天国だ地獄だ、生まれ変わりだではなく、とことん合理的に捉え、「現時点で解らないこと、原理的に人類に解明できない事はある」
それをわきまえる事が必要だと考えています。
「信じない」じゃないんです。
「それについては解らないのだから、信じる信じないやっちゃいけない。
現実に生きましょう。」
それが僕のスタンスです。
さて昨日、かって断酒会で一緒に例会廻りをした先輩が9月に亡くなっていた旨、奥方様からハガキで知らされました。
僕はこの先輩にからまれて嫌気がさし断酒会を脱会、AAに移り、さらにはプロテスタントに身を投じました。
こちらの言うことをことごとく否定、言いっぱなし聴きっぱなしの会であるのにです。
頭にきましたね。
殺そうとも思いました。
だから今回はがきで知らされても「へぇ」という言葉しか出ません。
ところが、この人が居たから僕は飛び出し、AAのステップに出会い、ハイヤーパワーとか言ってるんなら思い切って信仰の世界飛び込み「価値観の逆転を求めよう」と思い立ち、飛び込んだ先の信仰の世界でスピリチュアルな感覚を開かれ、キリスト教にとどまらず、この「神なるものと世界の流れ」を知り、カウンセリングを知り、自己受容という事を知り、さらには教会やキリスト教からも飛び出し、アドラー心理学に出会え、先輩と仲間に出会え、来年には結婚しようとしておるわけです。
ということで「何がいいか悪いか」わかったもんじゃありません。
癌で亡くなったということですがまだ70前。
殺そうと思ったくらいの相手ですが、(ということはね気持ちの上で疾うに相手を殺してたんでしょうね。)
お疲れ様の一言くらいはあげてもいいだろう・・・
これが(こんな程度なのが)僕の偽らざる気持ちです。
僕もまた、自分を捨ててきた人ですから人との付き合いを維持する力はまだ弱いと言わざるを得ません。
この段階にまで来たなら、自分の癒やしを待つよりは、まず自分から支えてくれている方、周囲にに貢献していくことで大きく自分を育てて行きたいと思えているわけです。
神の御心、天命、大我の想い、屈託無く則って運ばれるよう願うばかりです。
その前には切磋琢磨もしなきゃなんないし、忍耐もしなきゃならないんでしょうが。

