『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」 -2ページ目

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」

心が「こって」はいませんか?「 MindExpander~心のストレッチャー梅」 あなたを心の水平線に御案内します。あなたの心を解きほぐし広げます。空を行く雲のように悠々と往きたいものですね。梅はAC、引きこもり、アルコール依存症他アディクションからのサバイバーです。

 前回の日記で「信じる信じないという問いの立て方をとうに放棄している」
「亡くなった方の魂が存在するうんぬん」はどうでもよいこと、と冒頭に書きつつ
 「梅さん魂とか大前提にしてるじゃん」というお問い合わせをいただきました。

 そうです。
 おっしゃるとおりですね、その疑問!

 霊魂だ魂だというとスピリチュアルかオカルトな話しになりますが、そもそも前回の日記、mixiに書き連ねた内容、タイトルを「我がスピリチュアル・タスク」としました。

 (mixiもやってますので、マイミク申請どうぞよろしく。)
 僕にとってのスピリチュアルって、ということだったわけです。

 で、文脈で見ていただきたいのですが。

 >唯一無二のかけがえの無い貴い魂であると。

 その人の地位、能力、容貌、賜物、為した事、人格、ではなく
 一個の魂として観る。

 こういう文脈上で「魂」と使用している内容、僕の中で [being] という謂いが一番近い感覚です。

 being、存在、です。

 DOING、何を為したかではなくBEING、存在そのもを見る。
 加えて、容貌だ、地位だ能力だ・・・それにも惑わされない。
 この目線ですと、罪を憎んで人を憎まず、の世界に入って行きますね。
 
 霊的に惨め貧しい、については、「ここに在る自分」を粗末に運用している。
 その事に気が付けていない。
 無自覚で歪んだ認知やら自分だけの論理に縛られているありさまですね。

 霊的にとか魂とか書いていますが、置き換えるとこんな言葉になるでしょうか。
 しかし「それだけではない」。
 そこを「謙虚に空けて置き」 「無理苦里に言葉にしないこと」
 それが人間には必要と僕は考えます。

 いきなり、守護霊だ天国だ地獄だ、生まれ変わりだではなく、とことん合理的に捉え、「現時点で解らないこと、原理的に人類に解明できない事はある」
 それをわきまえる事が必要だと考えています。

 「信じない」じゃないんです。
 「それについては解らないのだから、信じる信じないやっちゃいけない。
 現実に生きましょう。」
 それが僕のスタンスです。

  
さて昨日、かって断酒会で一緒に例会廻りをした先輩が9月に亡くなっていた旨、奥方様からハガキで知らされました。

 僕はこの先輩にからまれて嫌気がさし断酒会を脱会、AAに移り、さらにはプロテスタントに身を投じました。

 こちらの言うことをことごとく否定、言いっぱなし聴きっぱなしの会であるのにです。
 頭にきましたね。
 殺そうとも思いました。
 だから今回はがきで知らされても「へぇ」という言葉しか出ません。

 ところが、この人が居たから僕は飛び出し、AAのステップに出会い、ハイヤーパワーとか言ってるんなら思い切って信仰の世界飛び込み「価値観の逆転を求めよう」と思い立ち、飛び込んだ先の信仰の世界でスピリチュアルな感覚を開かれ、キリスト教にとどまらず、この「神なるものと世界の流れ」を知り、カウンセリングを知り、自己受容という事を知り、さらには教会やキリスト教からも飛び出し、アドラー心理学に出会え、先輩と仲間に出会え、来年には結婚しようとしておるわけです。

 ということで「何がいいか悪いか」わかったもんじゃありません。
 癌で亡くなったということですがまだ70前。

 殺そうと思ったくらいの相手ですが、(ということはね気持ちの上で疾うに相手を殺してたんでしょうね。)
 お疲れ様の一言くらいはあげてもいいだろう・・・
 これが(こんな程度なのが)僕の偽らざる気持ちです。

 僕もまた、自分を捨ててきた人ですから人との付き合いを維持する力はまだ弱いと言わざるを得ません。

 この段階にまで来たなら、自分の癒やしを待つよりは、まず自分から支えてくれている方、周囲にに貢献していくことで大きく自分を育てて行きたいと思えているわけです。

 神の御心、天命、大我の想い、屈託無く則って運ばれるよう願うばかりです。
 その前には切磋琢磨もしなきゃなんないし、忍耐もしなきゃならないんでしょうが。

 親父の死によって、仏壇に手を合わせ「生きていたとき伝えられなかった事」を語りかけるという行為をしています。
 週に二度ほどですが。
 自分自身への語りかけであります。
 供養しているのは自分の心根と言えましょうか。
 
 亡くなった人間の魂が存在するうんぬんについては「信じる信じないという問いの建て方をとうに放棄していますので」僕にはどうでも良いこと。
 
 「在るか無いか」「良いか悪いか」という捉え方は「実務的課題」「卑近ですり合わせしておくべき台本」についちゃあ自覚的に採用していますが、この数年の体験から自分は「流れ」を生かされる感覚にシフトさせられています。
 大きな流れの中で自分が選択する態度によって命を運んでいく感覚です。

 でも、何一つ自分独りの力だけで成し遂げている事は無い。
 命は授かり、下の世話からしてもらい、生かされ守られ、お陰さまでここに在り、自分も「誰かのお陰さま」の内に入っているという事実。

 命から、今在る自分から、ぜ~~んぶ頂いたもの、貰いもの、預かりもの。

 気持ちよく、このいただいた自分を運用して行きたいと思えているわけです。
 そのために大きく育ててやりたいとも思うわけです。

 すると他人にも同じことを思えるわけです。
 唯一無二のかけがえの無い貴い魂であると。

 その人の地位、能力、容貌、賜物、為した事、人格、ではなく
 一個の魂として観る。
 
 この感覚が育ってきています。
 
 (通勤の電車や毎日の接客・・・よい修養になります。)

 話題の連続不審死容疑者・・・霊的に極めて惨めで貧しいと感じられます。
 
 無自覚に他人にしてる事は自分自身にしている事。

 人づき合いが苦手=自分自身と折り合いが付けられない。
 人に興味が無い=自分を放棄している。
 です。
 すると容疑者の彼女は。

 金銭目的であらかじめ殺すつもりで騙している=虚飾の生、自分自身を生きていない、自分自身をとうに殺している。
 ということでしょう。
 こういった形で罪を犯した方は、癒されていくと自分の犯した罪の重さがわかって行きます。
 癒されなければこの状態に居続け、癒されたなら己の犯した罪の重さに責め苛まれる。
 気の毒ですが、そこを通ってその先に進まなければ自分と折り合いがつくことはないでしょう。
 殺された方のご冥福を祈ると共に、この容疑者の魂への供養をと感じさせられます。

 この人ね・・・複数の男性から数百万とか騙し取ったと・・・(容疑者の中では)
 でも相手は彼女の話しを信じて、助けたわけです・・・。
 出会いサイト、結婚紹介サイトで知り合った男性ですよ・・・。

 僕ならそんなにお金をあげない、あっても。

 ということはね、殺した相手はこの女性をかけがえのない相手として見てたんですよ。
 
 「愛してくれてたかも知れない人を殺していた。」
 彼女がその事に気が付く時。
 「それ以上の刑」はないでしょうね。

 自分が金銭を騙し取るために殺害してきた人間は自分を大切に思ってくれていて、
付き合って結婚していたら幸せを一緒に感じ会える相手だったかもしれない。
 この容疑者には「この感覚が無いんですよ」。

 どうせみんな欲得だけよ・・・そうとしか思えていなかった彼女は

 欲得だけの生を生きていたのでしょう。
 疾うに真実の自分自身を見捨て、どこかに捨ててきたんでしょうね。
 虚飾の生とは言うなればゾンビです。

 癒される事と「現実を受け容れる」「気が付く」ということはセットですからね。
 それは「新生」ということです。
 これを僕は供養すると感じています。

 魂と預かりものの自分が大きく乖離、自己受容できず、愛することも、天命も知る由も無い。
 自他を傷つけながら彷徨っている。
 こういった風に僕の眼には映ります。

 そんな風に見えるということは僕が歩んできた道をそこに見てるわけです。
 自分に気が付き、受け容れ、赦すことがかなって、この目線が出るわけです。

 南無阿弥陀仏。
 アーメン。
 オ~ム。

 元からあった感性に根ざして出てくる、牧師やらボウズみたいな言い草を心理学的に裏打ちしつつ極力控えめに言ってみました(トホホ)

10月10日に父が亡くなり、思うことがありブログをお休みさせていただいていました。


人は生まれて死にます。

当たり前のことですが普段考えません。


命は授かったものですよね?


なにから何まで、自分独りの力だけで為しえた事、得た物などありません。


授かった命、いただいたもの、借りているものばかりという気がします。


気持ちよく自分の命を運びたいですよね?

自分にかかわってくれている方々と自分自身と、全ての魂と宇宙に後味の良い人生を行きたいものです。


毎日機嫌よく自分を生かされ、用いられて生かし合い、感謝して行きます。


ブログ再開です。

 

またよろしくどうぞ。


                       梅谷青空


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



読んで字の如く、自分に関連させて捉える事です。


で、良い事があったときに自分に関連付けるのではなく


悪い事があると「わたしのせいだ・・・。」

誰かが不機嫌だと「わたしのせいかも・・・。」

こりゃ、苦しいですね?

そういうことです。


でも・・・これって変でしょ?(笑)


「わたしのせいかも・・・。」と自分を引き下げつつ

感じる必要のない、罪の意識を感じながら


実は「自分が全てを把握・コントロールしている・・・。」

或いは「自分が全てに影響を与えている・・・。」

そういう勘違いをしていないでしょうか?


《そんなことないですよ。

 そんなに誰もあなたを見ていませんよ。

 あなたの思惑だけで全てが動いてはいませんよ。

 あなたの行動だけで他人や現実の在り方が左右されてるわけではありませんよ。

 みんな、自分の意志で動いているんですよ。

 だから、気を楽にしてくださいませ。

 罪の意識を持つ必要はないんですよ。》


 このことを覚えてください。

 そして、このことを覚えつつ、

 「現実、自分と全体にとって良い事を選択できるようになれればいいんですよ。」


 あたしのせいだ・・・と御自分を責めても「目の前にある課題・問題の解決には繋がりません。」


 御自分の価値=自己評価を引き下げずに、目の前の課題を見据え、解決に向け

 考え、選択、行動できるようになれば良いだけの話しなんです。


 どうかこのことを覚えてください。

 認知の歪み10パターンを今回でUPし終えました。

 認知の歪みについて、この後も続きます。


 次回もMindExpander梅がエスコートさせていただきます。


 


 



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



自分に否定的なレッテルを貼ります。

些細なミスを犯しただけなのに

「私は何も出来ない。 まともじゃない。」と感じます。


「一般化のし過ぎ」と重なっています。


人はね・・・鏡の世界に住んでいますよ。

その意味は「自分への態度は、他者への態度」です。


自分自身に対して「レッテル貼り」をする方は

身の周りの誰かに対しても「同じことをしています。」

苦しく、切ないですね。


《そのレッテルは、真実ですか?

 生きていくのに、役に立ちますか?》


あなたを「こうでなきゃいけない」という人は居ませんよ。

あなたを「こんな奴だ」と思う人も居ませんよ。


まずはご自分に対して「俺は、あたしは、こんなどうしようもない奴だ。」

その声が真実ではない事を知ってください。


あなたは、あなたのまま在るがままで唯一無二の存在です。

これってお世辞でも、おべんちゃらでもないでしょ?

真実なんですよ。


今はね、実感がなくたっていい。

いつか「御自分自身」と出会い直せる日まで、このことを言葉だけででも持っていて下さい。

切に願います。


 次回もMindExpander

 

  梅谷青空がエスコートさせていただきます。