なんと!前回のブログからちょうど1年以上経ってしまいました。

去年は桜の開花が例年より早く、あれよあれよと思う間もなく時期が過ぎてしまい、桜のテーマが季節外れになることを恐れてつい書きそびれているうちにあっという間に1年過ぎちゃったんです。

 

もしも待ってくださってたならほんとうに申し訳ありません。

 

そのうちに更新しようと思いながらすっかり放置状態で、このまままた一年ほったらかしたら今度こそ記憶が消し飛んでしまうに違いないので、絶対今日こそは書く!と心に決めました。・・・・と言いながらこの記事だって書き始めてもう1週間経つんですけど(笑)

 

まああれこれと私生活でも変化続きで新しいことに慣れるのが精いっぱいだったせいもあります。でもようやくこの5月になって落ち着いて自分の時間がとれそうな状況になってきました。

 

さて一応振り返っておきますと、このブログは長野市出身の小説家に触発され、作品のモデルになったと思しき場所を実際自分で訪ね歩いて得た情報や感想を記録するために始めたものです。

 

実際出版された時点ではモデルとなった場所を紹介する特別付録が本に挟み込まれてたくらいですし、公式さんもこうして聖地巡礼を試みるファンがいるんじゃないかと想定されてたのかもしれません。

 

しかし残念ながら私この小説に巡り合ったときは初版からだいぶ時間が経ってまして、リーフレットの存在はあくまでもX(Twitter)の画像で知ったにすぎません。

掲載されていた写真ではごく一部しか文字が判読できず、仕方ないので自分で探るしかありませんでした。

 

第四巻の犬神のトンネルを突き止めるのはなかなか苦労だったのですけどそれがまた楽しいんですよね。ここだ!と確信できた時は宝の地図を解読した冒険家に匹敵するんじゃないかってくらい興奮しましたよ。

 

おかげさまで巷の観光ガイドやネット情報だけでは決してたどり着けない隠れた名所というか、私自身この小説に出会わなければ地元であっても一生訪ねることはなかったであろうマニアックでコアな知る人ぞ知る場所を探訪することが出来ました。

 

それらはまるで自分が小説の主人公になったような不思議な体験でもあったんです。

 

 

さて、第五巻の「魍魎桜」の舞台となる「人柱供養堂」ですが、こちらはネット検索で簡単に突き止められました。新潟県上越市にそのままの名前で実在してましたから。

 

上越市は長野県北部と隣接し、直江津あたりの海水浴場は「長野県民の海」としても親しまれているところです。北陸自動車道を使えば1時間ちょっとですから我が家もよく遊びに行きます。

 

しかしそこは他県ですし、土地の歴史や地理を学ぶ機会もなく暮らしや風習に関しては何の知識もありません。

なので地滑り地帯の事や人柱伝説は小説を読むまで全く未知だったのです。

 

そこまで遠くは無いとはいえ”人柱”と聞けば不気味なイメージを持たざるを得ません。

所詮フィクションだとわかってはいても実際その場所に足を運ぶのはなんとなく躊躇われて、結局訪れたのは小説を読んでからちょうど1年後、つまり昨年の4月頭でした。

ちょうど仕事の端境期で少しばかり時間にゆとりが生まれたのと、天気も良いし別に怖いことは起こらないだろうと冒険の旅を思い立ったわけです。

 

 

黒姫、道の駅しなのにて撮影。

北に向った私を出迎えてくれたのは北信五岳のひとつ妙高山の優美な山姿です。ご覧の通り4月といってもまだまだ残雪に覆われています。長野県側からみると火山活動で形成されたカルデラがとても分かりやすく見えます。古来から山岳信仰の聖地でもありました。

 

 

 

長野と新潟の県境に位置する妙高高原駅。しなの鉄道の管轄ですがここはもう新潟県内です。

昼間は閑散としてますが、ウィンタースポーツリゾートへのアクセスや通勤通学には欠かせない地元の大切な駅です。構内には観光案内所やコアワーキングスペースもあり、駅舎の向かい側にはおみやげ物屋さんが1件だけですけど開いていました。

 

妙高高原駅に立ち寄ったのは私にとってもこれが初めて。せっかくだからとお土産物屋さんを覗いてみたら、ありました!

 

かの小林教授おすすめの「翁飴」です。

 

”四角くて半透明の餅のようなもの”

 

と小説にはありますがまさにその通りの形状でした。

 

 

かなりモチモチとしていて飴というのには程遠い食感です。水飴に寒天を混ぜて作るのだそうで、長野県で言えばみすゞ飴と同じ製法ですがそれとも違う、初めて味わう類のお菓子でした。小説を読んで想像したのとはかなり違いましたけどこれはこれでなかなか癖になるホッとするような優しい味です。お土産にと購入したんですけど結局ひとりで全部食べちゃいました💦

 

小林教授同様、かつて北国街道を往来した旅人がこの地に立ち寄り翁飴を買うのを楽しみにしていたわけがなんとなくわかる気がしましたよ。

 

 

ごく素朴なお菓子ではありますが各店によって伝わる製法が異なっているそうです。私が購入したのは伊藤製餡所1919年(大正8年)創業のもので教授お勧めの「高橋孫左衛門」のではありませんでした。

 

翁飴の歴史はなんと安土桃山時代にまで遡ります。

新潟県上越市内で最も長く432年にわたって「あめ」を製造販売してきた同市土橋の大杉屋惣兵衛が創業したのですが、残念ながら今年2024年1月で製造終了してしまった模様。

上越市内の本店他3件は和菓子屋として営業を続けてはいますが、翁飴に関しては江戸初期の1624年(寛永元年)創業の高橋孫左衛門商店(南本町3)と1885年(明治18年)創業のくさのや(中央1)、1919年(大正8年)創業の伊藤製飴所(中央1)など数軒となってしまったんだそうな。

 

この小説で翁飴に出会わなければ存在すら知らず、もしかして口にすることもなかったかもしれません。

消えゆく伝統がここにも…と思うとちと切なくなります。

 

 

 

ま、目的地は高橋商店のある上越市高田ではなかったので、翁飴に関してはこれで良しとして先を急ぎます。

 

春とは言え日暮れは早いのですからなるべく午前中にたどり着きたかったのですが、なにせ家を出たのが遅かったものですから到着した時にはお昼をだいぶ過ぎてしまいました。

 

 

県境の山を越えひたすらのどかな田園風景を走って見えてきたのがこの山です。山頂にあるのは明らかに城跡と思しき築山です。

この時点で結構テンションがあがりましたよ。見るからにいわくありげじゃないですか!

 

マップによると目指す「猿沢地区」は間違いなくこの方向を指しています。が、油断大敵、経験上こういう場所はかなり急峻な上り坂の頂点にあるに違いなく、自分の運転技術では果たしてどこまで近づけるかもわかりません。もしかしたら歩いて山登りする羽目になるかも。

 

それはイヤッーーーー‼‼‼だってあくまでも私はものぐさな冒険家なのでww

 

 

・・・っと思ったらナビはここから逸れていき、案内されてたどり着いたのは長野県民としては拍子抜けするほどあっけない平坦な場所にあるごく普通の集落でした。(長野県民の「普通」は大概普通じゃないのですが💦)

とにかく覚悟したほど相当な山奥でもなく、平野から登ることほんの20、30分ほどで地滑り多発地帯として有名な板倉区猿供養寺に到着することが出来ました。小説では「猿沢」と記されていましたが、本来の名前は「猿供養寺」これまたなんとも曰くありげな地名ですね。

 

近くには日帰り可の温泉宿泊施設もあり、一見それほど辺鄙な印象は受けなかったのですが、冬になると景色は一変するはずです。

2メートル年によっては4メートルもの積雪に覆われ、この山も春の目覚めを迎えるまでは一切旅人が立ち寄れない状態になるのです。

 

 

集落にたどり着く直前に目にしたこの光景。一見段々畑のように見えますが、実はここ2012年(平成24年)3月8日に、新潟県上越市板倉区国川で発生した地滑り災害の復興工事現場だったんですよ。小説に描かれた地滑りは今もなおこの地の人々を苦しめていたんですね。

 

それとも知らず何とか到着できたことにほっとした私を出迎えてくれたのはご覧の通りの桜並木でした。日が西に傾き若干黄昏ていたのが残念でした。午前中にくればもっと光り輝くような景色を拝めたことでしょう。

 

 

それでも小説タイトルそのもののに胸が熱くなったのは言うまでもありません。

 

エドヒガンのような古木は見当たりませんでしたが、地滑資料館と人柱供養堂は青空の元、満開のソメイヨシノに包まれてそれはそれは清々しく見えました。

 

 

いや、この白い塔は人柱ではないんですよ。これは人里における世界最高の積雪8.18メートルを記録したモニュメントなのです。写真を撮ったこの位置から白い柱を見上げたてっぺんがちょうど地面から8.81メートル地点なのだそうな。実際に目にしてその高さのほどがよくわかりました。

除雪しようにも人力ではどうすることもできない高さと雪の重み、家だってひとたまりもないでしょうにどうやってこの村の人々が生き延びられたのかが不思議です。

 

 

地滑りと豪雪と、過酷な自然に向き合いながらそれでも板倉区の住民はこの地を愛し歴史を積み重ねてきました。

その一端に触れることが出来ただけでもこの小説に巡り合えてよかったなと思っています。

 

つづく